落ち穂拾い編ということで。
フジャンドから約80キロ離れた場所に、イスタラフシャンИстаравшан/ Istaravshanという町があります。アケメネス朝ペルシャのキュロス1世により紀元前6世紀に作られた町で、のちにアレクサンドロス大王による攻撃を受けました。大王はここまで来ていたのか。2002年に創都2500年を迎えており、フジャンドやサマルカンド、ブハラなどと並ぶ中央アジアで最も古い町の一つです。
バスターミナルはここ。イスタラフシャンと書かれたミニバスが近くに停車していました。
バスターミナルにあった時刻表と料金です。イスタラフシャンはこの表のNo. 2で、ミニバスが5:00-18:00で30分おきに出ています。乗車料金は18ソモニ。
ところでイスタラフシャン行きのミニバスに乗り込むと、通路部分に椅子を3~4脚追加で置いて、座席数を増やしていました。ここまでするのか。後ろに座った人が途中で降りたい場合どうするのか、手前の通路に座る乗客は椅子ごと降りなければいけないのか、急ブレーキがかかったら体ごと持っていかれるのではないのか等、いろいろと疑問を感じつつ、まだわずかに残っていた普通の座席に着きました。
10分ほどして出発しました。車掌は所要時間を1時間と言いましたが、実際に到着した時には1時間20分が経過していました。仕事が終わってから出発したため、イスタラフシャンのバザール前に到着した時には16:30を回っていました。イスタラフシャンからフジャンドへの戻りの便は17:00が最終だとのことで、絶対に間に合わないこと確定です。それを過ぎたらシェアタクシーでフジャンドに戻れると言われたので、まあ何とかなるでしょう。
イスタラフシャンのバザール。
この町一番の見どころはムグ・テパ(Мугтеппа / Mug Tepe fort)という城跡です。現在は再建された城塞が小高い丘の上に建っています。元々この地では何度も砦が築かれ、アケメネス朝のあとはクシャナ朝、ソグド人、アラブ人がこの地を支配してきました。尚、本当はついでに地図左側のエリアにあるモスクも見たかったのですが、残念ながら入口が閉まっていて見学できませんでした。
細い道の続く住宅地を奥へと入っていきます。
下校する子供たちが僕を見ると「アッサラーム」と挨拶の声が上がります。果てには集団で追いかけてきて英語で「Where are you from?」と口々に聞いてくる。相当に外国人の珍しい場所だったようです。
もう少し歩いてムグ・テパへ。この頂上です。
道なりに上っていくとホテルの建物が出てきて、その横からムグ・テパの入り口に進入できます。
夕方だからか、ここに車は一台も見当たりませんでした。まだ開いているので急いで中に入ります。
この塀に囲まれた中はコロシアムのような形状の博物館の建物があり、その裏には発掘現場がいくつかありました。博物館では館長が案内してくれました。入場料リストを撮影しそこねましたが、このときは「見学+エクスカーションで割引して50ソモニにしてあげるよ」と。エクスカーションは館長がここにいて、来館者が英語かロシア語かタジク語での説明を理解できる場合は拒否できなさそうな勢いでしたが、彼は3年前に館長に就任してから自ら発掘調査に携わって数々の古代の資料を掘り出しているそうで、面白く話を聞かせていただきました。
ここまでみてから、急いでバザールに戻ります。ここに入る前にあったホテルの横でタクシーを拾えますし、歩いて戻ることもできます。
もう少しでバザールに到着します。
バザールの前ではシェアタクシーの運転手が「フジャンド?」と声をかけてきました。60ソモニ。しかしここからがいつものタジキスタン式でのやりとり。僕以外の乗客がなかなか見つからず、やっと現れたときにはすでに真っ暗になっていました。あまりに乗客がいないので、ドライバーのおっちゃんは200ソモニ出せばすぐ車を出すと言いましたが、こちらとしては迷ったものの2人分までなら出すことに。すると「あと1人見つかったら出ます」と言いつつ、しっかり2人見つけ、さらに大量の配達物まで空いた座席やトランクに詰め込みました。なのに僕の支払いは1人分には戻らず。絶対に1人分より多く申し出てはいけないし、すでに乗客がいる車を探した方がいいですね。次にシェアタクシーを使うときは頑張ります。
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