2017年4月30日日曜日

ロシアからラトヴィアへ(モスクワからリガへ飛行機で出張)

 久々に更新します。この一ヶ月、とてつもなく忙しかった。また書くことの出来ないこともいろいろあって、手抜きのような更新になりますがお許しを。
 四月前半に仕事でリガRīgaに行ってきました。タリンと同じく美しい街でした。



 リガ国際空港に到着後、待遇が良くなったこともあってタクシーで市内入り。4つ星ホテルに宿泊。一ヶ月前のお湯が出るかもわからないおんぼろホテル暮らしとは雲泥の差。
 なお、入国審査の際、なぜかEU圏で有効な旅行保険に入っているかどうかを聞かれました。それ故、クレジットカードの保険がある旨を伝えたのですが、EUで有効かどうかを証明する記載がないとのことですったもんだ。最終的には「今回は許す」とのことで決着がつきましたが、どうなっているんだか。
 今回はホテルにタクシー送迎を事前依頼しました。送迎は予約預け荷物のターンテーブルのあるスペースから外に向かう進路どおりに進み、出口に向かう途中、廊下の真正面にタクシー予約者が張り出されたパネルがありますのでそちらに。
 係員に申し出ると、一緒に空港の外のタクシー乗り場についてきてくれて、運転手に引渡されます。仕事の関係で大きめの車を頼みました。旧市街を越えてすぐのホテルまで所要時間20分、料金は12.6ユーロでした。
 尚、バスの場合は、空港の建物を出ると広場になっていて、向こう側にバス停があります。

*リガ空港のHPから引用。

 空港内インフォメーションセンターの横に置いてある無料の地図をもらうついでに、ここのデスクで乗車券を購入しました。バス内はフリーWifi有りです。ちなみに市内のタクシーも車内にWifiがあり、乗客は使用できます。

 ダウガヴァ川(ロシアで言う西ドヴィナ川)がバルト海に注ぐ場所に栄えるリガ旧市街の町並み。



 ダウガヴァに架かる鉄道橋と、その向こうに立つ国立図書館。尚、ダウガヴァを遡るとポロツク、更にはヴィテプスクにもたどり着くことが出来ます。



 破風と破風上の飾りがかわいい。



 街はアールヌーヴォーの宝庫。



 ラトヴィアの科学アカデミー。ワルシャワの文化科学宮殿と並び、ロシア国外のスターリン様式の建築物として有名。



 夕暮れ時のリガ。よく撮れました。ラディソンブルー・ラトヴィア・カンファレンス&スパホテル・リガ からです。この夜景を楽しみたい方は、26階のバーにぜひお立ち寄りください。



2017年4月11日火曜日

課長待遇への昇進と不自由な暮らしの始まり(モスクワにて)

 モスクワに戻ったところ、大した仕事もしていなかったのに課長格の役に就くことになりました。給与が増えるのはいいとしても、気ままな自由旅行は制限されそうです。デスクワークも多くなります。まあ、人生そんなものかもしれません。
 それ故、これまでのように頻繁には更新出来なくなりますが、まあしかし、折を見てアップしようかと思います。
 そういうことになりましたが、最近のモスクワから数点。地下鉄のエスカレーターの広告が復活しました。ヤミ業者が一掃されたと聞きました。



 実は初めてのドゥルージバでの食事。



 中国東北部のジャガイモの千切りの炒め物がありました。



 ダニーロフ市場もおしゃれになっていました。ラグマン屋も若干リニューアルしていました。



 ようやくヴェトカフェにも行ってきました。



 「人間は自由の刑に処されている」などと言って、自由の苦しみを説いた哲学者がいましたが、やっぱり自由の方がいいなあ。

2017年4月8日土曜日

クルスクからモスクワへ鉄道で移動(ロシア編)

 仕事がそろそろ始まるので、モスクワМоскваに戻らねばなりません。ハルキウХарківから乗車するのとほぼ同じ鉄路を使ってモスクワを目指します。



 クルスクКурск駅の正面。ソ連の鎌トンカチと戦いにおける勝利のシンボルが建物にしつらえられています。



 クルスク駅のカッサ。三ヶ月ぶりに切れのあるロシア語を耳にしました。もちろんここではVISAカード使用可。モスクワまでの二等座席を購入。思えば、チケットを買うのもかなり慣れました。



 久々のロシア国鉄の切符。要パスポートです。



 駅の待合室の壁にはクルスクの戦いにおけるソ連・ナチスの進軍経路が掲示されています。



 到着したモスクワ行きの客車列車。フィルメンヌィ列車ではなかったものの、それと見まごう内装でした。申し訳ないですが、ウクライナ国鉄とは差を感じます。いつも通り、チケットは車掌預かりです。



 二時間ほどでオリョールОрелに到着。隣の席のブラジル人が空気を入れた枕を貸してくれましたので、よく眠ることが出来ました。国境の検査がないというのはいいですねえ。



 更に二時間程度でトゥーラТулаに到着。



 オカ川Окаを渡河。



 セルプホフСерпуховを通過しました。写真はぼけた。



  モスクワ・クルスク駅に到着。隣のブラジル人と別れてホテルに向かいました。写真は久々のモスクワ、マヤコフスカヤ界隈。

 
 明日、久々に出勤です。
 

2017年4月6日木曜日

ウクライナからロシアへ(スムィからクルスクへバスで移動)

 先日、クルスクКурск行きのバスを発見したので、これでロシア入りしてみました。とは言え、この「戦争中の」時期、バスでの越境は時間がかかると予想していましたが、まあその通りになりました。


 
 早朝6時半前のスムィСуми、バスターミナル。小雨が降っていて、ターミナルに来るまでに少々濡れてしまいました。



 チケットは前日に購入しておきました。Visa使用可です。140.75G(約580円)でした。



 6時半ギリギリにホーム入りしたクルスク行きバス。あんまりいいバスじゃなかった。まあウクライナとロシアの間を結ぶバスじゃ、こんなものか。お客はかなりいます。



 ほぼ一時間の乗車ですぐさま国境ユナキウカЮнаківкаに到着。



 ここでバスを降りて徒歩で越境する人も数名いました。聞くところ、すぐ向こうの町に向かう人たちとのこと。



 荷物検査のために一旦下車。いつもより厳重チェック。



 出国手続きにも時間がかかりました。二人ほど、出国が認められない男女がいて、彼らが国境警備員と言い争いを開始。そのせいで検査が遅れ、僕の隣に座っていた初老の男性が何度も舌打ちを繰り返します。また荷物の再検査になった男性もいました。更に、パスポートを預けてから戻るまで一時間程度の時間がかかりました。

 次いでロシア側の入国審査場スジャСуджаに移り、出国手続きが始まりました。ここでは全員が降車、久々に一人一人が審査される形になりました。その後、手持ち荷物が全て審査場の一区画に集められ、その回りにシャッターが下ろされて中が見えないようになりました。シャッターが下りた後、麻薬探知犬と思われるかわいいもじゃ毛の犬が係官と共にシャッターの内側に入り検査。10分程度で荷物検査が終わったようでシャッターが開き、各々が荷物を受け取ってバスに積み込みました。

 結局、越境で二時間かかりました。バスの運転手曰く、日によっては1時間で越えられることもあるとのこと。鉄道で越える場合にはダイヤがあるのでここまで延びないのですがねえ。
 ともかく、スジャの町のターミナルに到着し、5分程度のトイレ休憩。



 小雨の中クルスクが近づくにつれ、道が良くなってきました。先日、ウクライナのフロイスマン首相が、ウクライナの道路の95%は崩壊していると言っていましたが、確かにひどくて、それと比べるとロシアはインフラ整備が進んでいるなあと思わずにはいられませんでした。



 クルスクに入りました。



 こうしてクルスクのターミナルに到着。



 Wifiは無料のものはありませんでした。ターミナルのそばからは駅などの中心地を向かうマルシルートカなどがでています。



 バスを待っていたのですが、なかなか来なかったもので、結局その辺に停まっていたタクシーに乗りました(300R)。こうして町の中心に向かう間に気がつきました。この町、バスターミナルと中心街との間をまっすぐ結ぶバスやトラムがなくて不便だと思っていたのですが、両者の間に深い谷があるのですね。タクシーはその谷を下りて、再度登るコースを取りましたが、バスやトラムではキツく、それ故に南側を迂回するのです。そういうこともあり、タクシーを使ったのは悪くなかったと思いました。



 ここまで来ればモスクワМоскваはすぐそこ。とは言え、また仕事が待っているのか。。。

2017年4月4日火曜日

ウクライナの長距離バス5(スムィ発)

 そろそろ飽きてきたスムィСуми生活。中央市場は面白いのですが、流石にもう食傷気味に。



 そこで、どうやってモスクワМоскваに戻ろうかとバスターミナルに路線を調べに行きました。
 その結果、スムィからも二本だけ国際線バスがでていることがわかりましたので、これを紹介します!

 1)モスクワ行き:1600発



 2)クルスクКурск行き:0630、0700、1440発


 大戦車戦で知られるクルスク行きがあるのは気になりますね。モスクワ直行は時間がかかりすぎて死にそうだし、バスでクルスクからロシア入りしてみようかしらん。
 ただ、これまでは空路と鉄道だったからちょっと気がかりですがねえ(先日のベラルーシ事件以来、少々心が弱くなっています・・・)。

2017年4月3日月曜日

プチヴリへの旅(スムィからバスで)

 スムィはウクライナの中でもやや「地の果て」に近い場所にあります。南はハルキウ、東はロシアとの国境、北や西に行ってもすぐには大きな都市に到達できません。
 しかし、小さな町に注目してみると、意外にも面白い町が点在していることがわかりました。そこで、そのうちの一つ、プチヴリに行ってみることにしました。
 この町は『イーゴリ軍記』(イーゴリ遠征譚)によると、主人公イーゴリの居城で、彼はここからポロヴェツ人に対する有名な遠征に出発し、戦いの末に捕虜となるわけです。

 プチヴリは様々な都市・町への経由地に当たるので、「スムィ・プチヴリ線」以外にも、多くのバスを利用できます。


 
 メインのバスターミナルから出発です。町の中心からはやや離れています。ただ、マルシルートがたくさん走っていますので、それに乗れば3Gです。尚、ターミナルでのチケット購入では、VISA利用可でした。



 途中でビロピリャを経由します。



 二時間ほどでプチヴリのバスターミナルに到着です。バスは多いので帰りのチケットはあとにします。なおWifiなしです。


 
 見所はヤロスラヴナの像(川ッぺり)と



 ヤロスラヴナ(地域博物館。入場料7G)と



 修道院くらいでしょうか。



 博物館ではイーゴリ軍記関係の展示が充実していました。とは言え、当時のものは何も無く、その意味でリアリティに欠ける展示ではあるのですが(後代の絵画などが全て)。

 プチヴリのターミナル。カード購入は不可でした。



 自由席で62.54Gでした。



 帰りもスムィのバスターミナルに到着です。中心街まではマルシルートで帰還。

アルメニア編その2 エレバン探訪(part2)

漬物屋。キャベツ丸ごとがでかい。 スパイス各種。 野菜コーナーにて突然のしめじ。   ・鉄道駅横の市場(営業時間6:00~9:00) 地元の人々が通う生鮮市場を見たいならここもありです。駅舎に向かって右側にある体育館のような巨大な建物とその周辺で青果や魚、チーズ、スパイスなどを売...