2021年4月29日木曜日

冷戦博物館バンカー42(モスクワ市内)を訪問

 モスクワ中心部タガンカ地区に、ソ連時代の本物の核シェルターを見学できる場所があります。冷戦博物館バンカー42です。 https://bunker42.com/


 所在地はここ。クレムリンから南東部の地下鉄タガンスカヤ駅近くです。



 知名度も高いし興味はあったのですが、事前予約が必要なのと、基本的にガイド付きのツアーでの参加となり、元々の入場料も高め。さらに外国人料金が設定されていたため、これまで躊躇していました。しかし新型コロナのせいで外国人観光客がいないせいか、現時点でウェブサイトにて購入できるチケットはロシア人向けのみ。これでいいのかよく分かりませんが、とりあえず買ってみました。

 

 エクスカーションは複数種類あるのですが、とりあえずスタンダードらしき「バンカー42Бункер-42)」というのを選択。日時を選んでカードで支払います。僕が買えたのはロシア人料金の1100Rのチケットでした。

 

 見学当日。地下鉄タガンスカヤから徒歩5分です。下の地図だと環状線の駅から出るルート。


 

 入り口はここ。やってきたものの、ドアはロックされていますし、中に入れなくて途方にくれました。が、だんだん参加者が集まってきて、予約時間の15分前になるとガイドが全員まとめて中に案内してくれました。ドキドキしながらイン。


 

 僕はチケットをネットで事前購入しましたが、どうやら現地で直接購入することも可能でした。そしてネット購入しようがしまいが、全員が必ずチケット売り場へ行く必要があります。ここでチケットや通行証と引き換えるのです。懸案の外国人料金ですが、チケット売り場の人に挨拶だけしてプリントアウトしたEチケットを渡したところ、すんなり通行証と交換してくれ、事なきを得ました。外国人料金というのは、もしかして外国語で案内されるのですかね。どうなんでしょう。

 

 そして、こんな通行証をもらいました。本物の軍事施設の通行証に書かれたのと同じ条項もあるのかもしれませんが、ジョークが効いていますねえ。



注意!

1.施設入場時に提示すること。2.拘束の危険の際は通行証を破棄すること。3.破棄する際、尾行されていないことを確認すること。4.通行証を紛失すると深刻な問題に遭遇する可能性がある。5.年金受給開始時、通行証は役に立たない。

→ロシアでは軍人が退職すると、公共交通機関や博物館入場料が安くなるなど、特恵待遇が存在するのですが、この通行証はそれには使えません、ということですね。

 


 裏面はこうです。「ソ連国防省」身分証。階級:中尉。それにしても、すごい写真だ。



 軍服を着たガイド氏がドスの利いた声で説明します。こちらも随時ジョークが効いています。内部は1つの部屋を除いて写真撮影可能、動画は撮影不可です。

 

 この施設は4つのブロックから成っています。見学できるのは第4ブロックです。タガンスカヤ駅との位置関係も。敵からの攻撃は西側から来ることを想定していたため、クレムリンから東側のこの場所が選ばれたそうです。蛇足ですが、同じく博物館として公開されている第二次世界大戦中のスターリンのシェルターБункер Сталинаはさらに東のイズマイロヴォにあります。


 

核シェルターは地下65メートル、地下18階にあります。健康に問題のない人は徒歩で下ります。なかなか大変。



 地下65メートルに到着しました。地下鉄タガンスカヤ駅の列車が上を通っているので、時折轟音が響きます。ここはクレムリンからさほど離れていないので、大統領府とこのシェルターを直接結ぶ通路はないのですが、地下鉄タガンスカヤ駅直結通路を使って地下鉄で移動する設計だったとのこと(一方、イズマイロヴォのスターリンのシェルターには直通路がありました)。



 スターリンの執務室。実際はこの施設は195054年に作られており、スターリンは1953年に死亡しているので、この部屋は設計を基に再現しています。奥にいるのはスターリン君。




 会議室。ここでは当時の航空機の模型が展示されていました。




 核弾頭を搭載する戦闘機の1/10模型。このシェルターは長崎に投下された規模であれば防げるとのこと。






 

 驚いたのは、核爆弾を落とすシミュレーターがあったことですね。希望する子供たちが制御装置の前に座って、モスクワが爆撃される様子を巨大モニターで見ながら、キノコ雲が立ち上る中、「モスクワは敵国の核攻撃を受けた。わが政府は敵国に対し報復として核攻撃を行う」というナレーションに従って、レバーを動かしスイッチを押すんですよ…日本では考えられないことですが。



 

 兵士は基本的に常に一つのブロックでのみ仕事をして、ほかの業務内容を知ることがないようにしていたそうです。そして休憩室や食堂も少人数しか入れない小さいものをいくつも設置していました。こうして兵士同士が極力多数で会話せず、職務上知り得た情報を拡散しにくいように対策していたとのこと。

 

 ほんの触りだけの紹介記事ですが、この後も最後までジョークあり、ドッキリあり。ラストは深さ65メートル分の階段を徒歩で上り地上に戻ります。とはいえ体調の悪い人はエレベーターを使えるのでご安心を。またここにはレストランもあるので、見学後に食事もできます。

 

 かつてHISが日本語ツアーを催行したことがあったので、外国人観光客が来るようになれば復活するかもしれません。いろんな意味で一見の価値ありです。


 ちょっとマニアックでしたかね。

2021年4月28日水曜日

モスクワ・フェオドシヤ線復活(7年ぶり)

  ロシアのいわゆるクリミアКрымの占領から7年、モスクワМоскваからクリミアのフェオドシヤФеодосия行き列車が復活するとのこと。3日に一本で1831キロを28時間で走破するとのこと。最初の列車は30日昼にモスクワを出発、リャザン、ミチュリンスク、ヴォロネジ、ロストフ・ナ・ドヌーを経由。3等寝台八両、2等寝台三両の編成だそうです。

 こんな列車を走らせて、いいのか悪いのか。まあシンフェローポリ行きが既にあるという意味では、この列車が走っても大したことはないのでしょうけど、実効◯◯は結果として◯◯されますね(言葉を濁して話します)。


(地図はヴェスチ・クリムから)

2021年4月27日火曜日

ムールマンスクへの旅7 帰途

 あっという間にムールマンスクМурманск/ Murmansk最終日。帰るだけになりました。モスクワМосква/Moscowに戻る前に、やはり心惹かれる港のカフェへ。

 今回も中身がたっぷり。大事にいただきます。


 レジにいた店員のおっちゃんが「明日も来るかい?」と聞いてきたので、今日帰るけれどもどういうことかと聞くと、よく来るお客さんは1150Rに、さらにもっと頻繁に来る場合は100Rまで値下げしてくれるとのこと。次回来るときまで、覚えていてくれるかなあ。長期滞在する方はいかがでしょうか。

 

 港のターミナルの横には魚屋の看板。


  鉄道駅前にも魚屋が。ここに入っていく人がいたので、僕ものぞいてみました。


 冷蔵、冷凍、燻製、乾燥などいろいろあります。








 さすがに飛行機に持ち込みにくいので、ここは見るだけ。


 ついで、バスに乗って空港へ移動しますが、その途中で昼ご飯にしました。空港に向かう道の途中に、例のレストラン王のチェーン店の一つ、「ツァールスカヤ・オホータЦарская охота /Tsarskaia okhota」があります。


 寒かったので、まずはお茶。タイガのお茶というのを注文。

 この店には熊の肉料理がいくつかあり、こうや君は熊肉とキノコをハト麦に乗せた料理を注文しました。かなり食べ応えがあります。肉は臭みもなく、豚と牛を合わせたような食感でした。う〜む。


 またこの店では生ウニやホタテを頼めます。さっき港で食べていなかったらここで頼んでもよかったですね。ここでウニは1190R

 

 食べ終わったらバス停へ。少し待つとすぐに空港行きのバスが来ました。


 

 搭乗時は再び吹雪。朝はあんなに晴れていたのに。


 モスクワに着くとあまりに暖かくて驚きました。ムールマンスク仕様の服装では暑いくらいです。帰ってきたパヴェレツキー駅Павелецкий。明日からまた仕事。



 

2021年4月26日月曜日

オーロラハンティング(ムールマンスクへの旅6)

 ムールマンスクに来た一番の目的はオーロラを見ること。この冬に当地を訪れた方々は皆さん口を揃えて「見られた。すごくきれいだった」と言っていました。そんなに誰でも見られるものなのかと思っていましたが、その秘訣は一か所にとどまって出るのを待つのではなく、追いかけていくということです。ムールマンスク州は天気が変わりやすく、どんなに上空でオーロラが出ても、雲があれば地上からは見えません。そのため雲の切れ目を探して車で移動するのです。これが現地では「オーロラハンティング Охота на северное сияние」と呼ばれる所以です。道路がある、進入可能な場所であれば、ムールマンスクから東西南北に移動して観測できます。


 初日から見えたと言う人も僕の周囲には多いですが、お勧めの滞在日数は35日だと案内されました。僕は34日にしましたが、これならうまく見られない日があっても予備日があるし、何とかなるだろうという軽い気持ちで現地入りしたのでした。

 

 しかし、この地域、天気が変わりやすいというのは本当でした。1日の中で快晴になったかと思えば吹雪になり、また運の悪いことに夜になると大きな雲が出て、初日は雲の切れ目が全くなし。そのため中止になりました。翌日はノルウェー国境に向って車を飛ばし、晴れ間を見つけたものの、オーロラは出ず、すぐに雲に覆われてしまいました。急遽進路を変更しましたが、その後もかけらも見えず。あっという間に最終日の夜を迎えることになりました。

 

 夕方から天気図をモニタリングしていましたが、明朝4:00くらいまでほとんど全域が曇り。それ以降は朝が近づくにつれて空が明るくなっていくので、そうなったら時間切れなのです。まだどうなるか分かりませんが、無理かもしれないという気持ちがだんだん湧いてきました。しかし、ガイド氏は夜20:00まで待ってから、「1:00より前には見られないので、23:30出発にしましょう」とのメッセージをくれました。とりあえずこのまま天気図をフォローし続けますが、これで天気が回復しないようであれば中止になる可能性もまだあります。



 真夜中、再度連絡が来て、決行することになりました。ノルウェーの国境に向って、西へ走ります。

 

 しばらくすると、空の向こうに雲の切れ目が確認でき、僕たちの頭上にも星がうっすらと見えてきました。ガイド氏は途中で車を停めて空の写真をパチリ。こうすると肉眼では見えないレベルのオーロラが写るので、オーロラの出始めの兆候を調べるために、このように偵察するのです。すると、どうやら雲の向こう、僕たちの真上にオーロラが出ているようです。空が開けるところまで急ぎます。

 


 やっと雲の切れ目に着きました。頭上に大きく帯状に出ているので、急いで車を降ります。初のオーロラ、素人でもはっきり分かるほどでした。このときは南北に空を横断するように長く出ましたが、ガイド氏曰く、こんな出方は珍しいのだとか。普通は北北西〜北北東、北西〜北東のように、弧を描く範囲で出ることが多いそうです。

 

 ガイド氏は急いで三脚を立てて、オーロラを背景に客を撮影します。5秒ほど動かずにいないといけないので、なかなかうまく行かない人も。その間に僕も素人カメラですがチャレンジしてみます。 



 撮れば撮るほどコツが分かり、調整もできていくのですが、残念ながら到着時ほど強い光はこのあと出ず、上の写真のような小さい光や、肉眼でうっすら見えるものしか写せませんでした。悔しいですが、自然現象なので仕方がありません。うーん、また来いということか。



 

 オーロラを見るにはいつ現地入りするのがいいか聞いたところ、例年出方が違うので何月が特にいいとは言えないものの、安定して見られるのは11月後半からだそうです。一番いいやり方は、職場で、秋の終わりから春になる前の間の2か月連続のどこかで休暇を取りたいと言っておき、現地からの連絡を待ち、「2日後だ」とか「1週間後だ」と連絡が来たらそれに合わせて行くことだそうです。そんな柔軟な会社に勤めてみたい

 

 地上の天気予報を見て、例えば1週間連続でノルウェーからサンクトペテルブルクまで雲のないときに来るのもありとのこと。あるいは太陽フレアの活動をモニタリングするのもいいとのこと。爆発した2日後には大きなオーロラが出るのだそうです。ということは、水~木曜日に大きめの爆発があり、週末が雲のない晴天の予報であれば、急遽チケットと宿をとって金曜夜から日曜にかけて出かけるといいということですね。そんな都合のいいこと、起こってほしいものです。

 

 ホテルに戻ったのは4時近くでした。チェックアウトまでひと眠り。

2021年4月24日土曜日

ムールマンスクだより5 町歩き2

 夜までもう一息というところで、もう一カ所。

 この町に来たからには外せない、町の北にあるソビエト極北防衛隊慰霊碑Защитникам Советского Заполярья в годы Великой Отечественной войны、通称アリョーシャАлёша/Aleshaに会わねば。しかし、やや遠いのが難点。



 まず、駅前からバスで最寄りのバス停まで移動します。ついでなので、駅舎にも立ち寄ります。


 この駅の時刻表はこちら。シンフェロポリからの列車もあるぜ。ただ、ここから乗り通す人はほぼいないのでしょうけれどねえ。



 

表通りに出てバス停に向かいます。世界最北のマクドナルドは立ち寄ってみたのですが、かなり混雑していたので、バスへと急ぐことに。



 バスは34Rで、車掌に払います。現金、カードとも可。

 

 手前の公園を突っ切ることにします。右手はこのような遊園地。



 途中に鎮座していたネコのセミョンくん。



 てくてくと20分ほど歩くと、ようやくアリョーシャに着きます。巨大なので遠くからでも見えます。



 遮るもののない高台にあるがゆえ、とにかく風が強く、凍えそうでした。なお、ここから市内や港が一望できます。



 あまりに寒かったので早急に避難したかったですが、元来た道を戻ってバスに乗る以外ありませんでした。寒い中歩き続けているので休憩したくなり、そろそろ食事もとっておきたいところ。ガイド氏もトリップアドバイザーも、誰もがお勧めするレストラン「ツンドラТундра/Tundra」に向かいます。

 

 ムールマンスクでは一人の経営者が多くのレストランを展開していて、そこであればどこも美味しいと勧められました。ハイシーズンだと予約しないと入れないほど混むらしいです。昼食と夕食の中間くらいの時間に入店しましたが、こんな日だからか、すでに7割は埋まっている様子でした。

 

 とにかく体温を取り戻さねば。ということで、いかにも温まりそうな蜂蜜入りのお茶を飲み、料理を待ちます。



 この店はこの地域で捕れる海鮮やジビエ料理があります。鹿肉のサラダを注文して見ましたが、臭みがほとんどなく食べやすかった。サラダに混ざっているフルーツやベリーのソースも奇抜ではなく、おいしい創作料理でした。



 この後は深夜にオーロラハンティングの予定。レストランを出るときも吹雪いていたのですが、いったいどうなることやら…

2021年4月23日金曜日

ムールマンスクへの旅4 街歩き編(ウニ、ホタテ、カキ)

 オーロラツアーは夜なので、昼間はコツコツと町歩きにいそしみます。


 ムールマンスクМурманск/Murmanskという町は、北極圏最大の都市で不凍港があり、海運が盛んなだけでなく軍事上の要所でもあります。ソ連時代は軍事都市だったので閉鎖されていました。今もムールマンスク州には多数の軍事閉鎖都市があります。そんなこの地ならではの博物館で一番有名なのが、原子力砕氷船「レーニンЛенин/ Lenin」でしょう。


 世界初の原子力砕氷艦で、1959年に就役し、途中で何度か原子炉事故を起こし、1989年に退役しました。2005年から博物館として公開されています。

 

 入場は12:0014:0016:003回で、入場料は500Rです。ガイドが案内するので時間厳守ですが、ギリギリに到着したところ何とか入れてもらえました。


窓から見える港の風景。


タービン。これは回転の実演付き。


 原子炉内。


50分でツアーは終了。その足でその向かいにある、港のターミナルへ向かいます。


 実は今回、ここをとても楽しみでした。ターミナル内にはコーヒーとポテトチップスとちょっとしたお土産を売る売店があるのですが、そこで生のウニやホタテが食べられるのです。たまらん。


  水槽から、生きているウニやホタテ、カキを自分で選び、皿に取ります。


 店員が殻を開けて簡単に食べられるようにカットしてくれます。レモンはありますが、それ以外にはソースや調味料はありません。


 さっきまで生きて動いていたウニとホタテですが、いただきます。


 特にウニは甘みがあって、薄い塩気と相まって絶品でした。貝類はどれも1200R、支払いは現金のみです。ここに来るまでは、楽しみな反面、万一あたったらどうしようという不安もあったのですが、生臭さがなくとても新鮮です。レストランのように雰囲気を楽しみながらのんびり過ごすような場所ではありませんが、このウニのためならまた来てもいいと思いました。(町歩きはもうちょっと続きます。)

アルメニア編その2 エレバン探訪(part2)

漬物屋。キャベツ丸ごとがでかい。 スパイス各種。 野菜コーナーにて突然のしめじ。   ・鉄道駅横の市場(営業時間6:00~9:00) 地元の人々が通う生鮮市場を見たいならここもありです。駅舎に向かって右側にある体育館のような巨大な建物とその周辺で青果や魚、チーズ、スパイスなどを売...