2019年8月29日木曜日

北マケドニアの鉄道(スコピエからの国際列車・国内列車)

 折角なので、スコピエ鉄道駅Железничка Станица Скопје/Skopieからの鉄道線を紹介します(というか、自分用メモ)。

 国際列車は3カ国に伸びています。


 テッサロニキΘεσσαλονίκη/Thessaloniki(ギリシアΕλληνική Δημοκρατία)行き
 0445発1021着(逆は1830発2154着。日帰り可能)  



 プリシュティナPrishtina(コソヴォRepublika e Kosovës)行き
 1610発1920着(帰り0710発0951着)


 ベオグラードБеоград/Beograd(セルビアСрбија)行き
 2219発0742着(帰り1850発0420着)


国内路線は6方面ですが、本数は少ないです。


・コチャニКочани/Kochani行き:
 0154発0418着 1522発1814着(帰り0500発0750着 1930発2216着)
・キチェヴォКичево/Kichevo行き
 :0250発0440着 1650発1854着(帰り0533発0735着 1930発2134着)
・ビトラБитола/Bitola行き
 :0140発0430着 0642発1016着 1430発1752着 1710発1951着 2012発2355着(帰り0310発0605着 1250発1545着 *ヴェレスまでの列車が他3本あり)
・タバノヴツェТабановце/Tabanovitse行き(電化路線)
 :0630発0724着 1634発1732着 1900発1955着 2300発0450着(帰り0516発0610着 0747発0845着 1750発1844着 2300発0450着)
・ゲヴゲリヤ Гевгелија/Gevgeliia行き(電化路線)
 :0620発0908着 1655発1938着(帰り0443発0734着 1655発1931着)

 実際のところ、バスが多いし、余裕がないと使いづらいところです。

プリズレンからペヤへバスで移動(コソヴォ編。ロシアのSIMカードについても)

 コソヴォRepublika e Kosovës/KosovoのプリズレンPrizren/ПризренからペヤPeja/Пећへ行く方法も確認できたところで、プリズレン市内の散策に出かけます。グーグルマップを開いて、ここで気づくのですが、なぜかここはオフラインで、GPSの現在位置も表示されません。

(*読者の皆さんは日本の携帯電話や海外用ポケットWifiを使用するか、現地でSIMカードを購入することが一般的でしょうし、ロシアのSIMカードをコソヴォで使うことは稀かと思いますので、あくまでご参考までに、ということで。)

 今回の出張では会社支給のロシアのスマートフォンを常時使用していました。ローミング、GPSとも問題なく使用できていたのですが、それがコソヴォ入国後どちらも突然不通になりました。尚、このあとモンテネグロЦрна Гораに入国すると、再び使用可能になりました。通話の方はコソヴォ国内でも可能でした。

 なぜか考えてみたのですが、仮説ですがおそらくこういうことかと。
 コソヴォは2018年1月現在、世界196か国中107か国以上が承認していますが、残りの国は承認していません。ちなみに国連にも未加盟です。コソヴォを承認しているのはアメリカ、イギリス、ドイツ、日本など。一方、スペインやロシアは承認を拒否しています。そのためロシアのSIMカードはコソヴォではサポート圏外なのではないかと。どなたかご存じでしたら、ぜひご一報ください!

 またこれもよく知られていることですが、セルビアРепублика Србијаはコソヴォの独立を認めていないので、セルビア→コソヴォへは移動できますが、コソヴォからセルビアへは第三国を経由しないと移動できません!今回、僕はセルビアに行く予定はありませんが、旅程を組む際には注意が必要ですね。

 携帯電話が壊れているわけではないことを(この時点では)信じて、町の中心部へ向かいます。プリズレンのバスターミナルは、町の中心部から徒歩15分ほど離れたところにありました。


 途中でリェヴィシャの生神女教会に寄って、あとは川に沿って進みます。


 世界遺産に登録されている、コソヴォの中世建造物群のひとつです。12世紀に建てられたセルビア正教会の教会ですが、内部は見られませんでした。

 川の向こうの山の上にプリズレン城塞が見えます。




 城塞は歩ける距離ではあったものの、あまりの暑さと荷物の重さのため登るのを断念。無念ですが、熱中症にでもなってしまってはどうにもならないので、近くのレストランの室内の席で休憩することに。周りのお客さんを見ると、焼いた肉の塊と大盛りの野菜サラダが人気のようです。しかし、暑すぎてそんなに大盛りは食べられない。何かここならではのものはないか探していると、アルバニアのデザート、トリレチェがありました。牛乳、生クリーム、練乳の3種類の乳製品から作るケーキです。

 カラメルがかかっていますが、意外と甘くなく、こってりもしていません。スポンジから牛乳がじゅわっとしみ出します。生き返ります。


 バスターミナルに戻ってくると、近くにこんなオブジェが。不気味です。


 しかも…


 ペヤ行きのバスに乗車します。17:45発で、所要時間は2時間。今日の移動はあと一息です。

 バスは田舎道をひた走ります。時々村を通過するのですが、民家の前に時折、アルバニアの国旗が掲げてありました。

(ウィキペディアより)

 アルバニア系住民が国民の9割を占めてセルビアから独立したコソヴォ。スコピエからプリズレンへ行く間にはこのような光景は見られなかったのですが、この地域ではアルバニア人意識がとても強いということでしょうか。

 20:00過ぎ、もうすぐ暗くなるあたりでペヤに到着しました。ペヤのバスターミナルは中心部から徒歩20分ほど離れています。


 出てすぐどちらへ行ったらいいか方向が分からず、道行く中年の女性に尋ねると、英語ができないからと、わざわざ隣のベーカリーの店主に声をかけてくれました。店主は英語ができて、ちゃんと教えてもらいました。ここの人たちもとても親切でした。

 中心部の繁華街は、バザールから自動車道M9が川と合流しているあたり一帯まで続いています。ホテルにチェックインし、やっとインターネット環境に。さすがに接続後はスマートフォン、PCとも正常に動作してほっと一息つけました。これで心置きなく買い出し&夕食に出かけられます。こういう日に限って仕事メールが多いのはもはやお約束ですなあ。

 繁華街の中のスーパーでは水のほか、お土産に使えそうなスナック菓子や小瓶のワインなどを調達しましたが、スーパー袋いっぱいに購入して7ユーロくらいでした。周辺国で製造している商品が多く、コソヴォ産のものはかなり少なかった(ワイン、お茶など)ですが、食べてみたところおいしいし、廉価です。スナック菓子などはこの後行くモンテネグロでも同じものを売っていたのですが、その半額くらいでした。もしかすると、開発援助などが投入されている影響で物価が低く抑えられているのかもしれません。

 日本のインスタント食品もありました。これはいい。


 夕食は、急いでいたこともあり、ホテルで教えてもらったピザ屋Prima Pizzaに入りました。種類も多く、サイズは大・小どちらか選べます。どの味でも、小さい方が1ユーロ、大きい方が2ユーロでした。小といってもそこそこの大きさがあります。飲み物はコーラなどペットボトルか缶入りで1ユーロ。飲み物の方は世界標準価格なのに対して、食べ物の方はかなり安いです。テイクアウトのお客さんも多く、かなり繁盛している模様。

 この辺りは焼きトウモロコシや綿あめの屋台が何軒も出ていて、夏祭りのようなにぎわいでした。


 こんな店まで!「さよなら」ですよ。


 今回は首都プリシュティナPrishtina/Приштинаへは行きませんが、プリズレンもペヤも治安の悪さを感じるような場面はありませんでした。酔っぱらって絡んできたりする人もいません。また英語のできる人もそこそこいます。穏やかで過ごしやすかったです。

 翌日はモンテネグロの首都ポドゴリツァPodgorica/Подгорицаに移動します。その前にたまった仕事を消化せねば……

2019年8月25日日曜日

北マケドニアからコソヴォへ(オフリドからスコピエ経由でプリズレンにバスで移動)

 今日は朝から北マケドニアРепублика Северна МакедонијаのオフリドОхридを出発して首都スコピエСкопјеに行って代理店を訪問し、コソヴォRepublika e Kosovësのプリズレン(アルバニア語:Prizren、セルビア語:Призрен)、ペヤ(アルバニア語:Peja / Pejë、セルビア語:ペーチ Пећ / Peć)へと移動しました。今回の出張の中で一番移動の多い日になりました。この年齢で体力がよく続くもんだと思います。今回は途中プリズレンまで、ということで。


 5:00にゲストハウスを出て、バスターミナルАвтобуска станица Охридへ。旧市街からは距離があります。


 こちらの建物に入っていく人がいたので、そちらへ行きます。まだ新しいですね。


 行ってみると、駅舎の中に警備員がいて、行先を聞かれました。チケットを見せたところ、乗車登録が必要だとのこと。同ホール内のチケット売り場で持っているチケットを見せると、30デナルを追加払いして座席の書かれた別のチケットが発券されました。最初からここで買っていればよかったのかな?


 新しく発券されたチケットがこれ。


 5:30に出発したバスは、スコピエに8:30過ぎに到着しました。バスターミナルはなかなか立派です。すぐにプリズレン行きを確保します。こちらは580デナルでした。


 このバスは11:30出発なので、急ぎ足で代理店に向かいます。スコピエ市内の位置関係はこうなっています。


 市内を歩いていると、川を挟んで左手がキリスト教やヨーロッパ的な街並みの地域、右手がトルコのような街並みのアラブ地域と、見てはっきり分かります。

 町中を通過したので、いくつか写真を。こちらはヨーロッパ側。橋を渡ると向こう側(アラブ側)に考古学博物館が鎮座しています。


 自由の橋の袂には民族衣装のレリーフが。


 ヴァルダル川にかかるカメンモストКамен мост(直訳で石橋)。


 マケドニア広場Плоштад Македонијаです。アレクサンドロスがでかい。


 橋を渡って対岸(北側)へ。両サイドにはライオンがいるのですが、勇壮な姿で迫力があります。

 対岸へ渡ると……

 顔が!丸っこくなりましたねえ。


 その向こうにはスコピエ城砦Скопска тврдина Кале。


 こちらはアラブ側。スコピエ旧市街Стара Чаршияです。


 ムスタファ・パシナ・ジャミーヤМустафа Пашина Џамија。美しいですな。




 代理店への挨拶回りもそこそこに、バスターミナルに戻ります。

 残りの現地通貨の所持金は200デナル。これで水や食糧を確保してバスに乗ろうと、ターミナル内のキヨスクで水とウエットティッシュ各25デナルを購入しました。しかしキヨスクのおばさんは、200デナル札に対してなぜか110デナルを渡してきたので、その場でレシートを見せながら問い返したところ、10デナル硬貨を回収して50デナル札をくれました。たかだか100円ほどとはいえ、これでできることは結構たくさんありますから重大です。次に入ったベーカリーで、この50デナル札を使ってトマトソースとチーズ入りの拳2つ分サイズのパンを40デナルで購入しました。これでプリズレンに到着するまで食事は大丈夫そうです。

 11:30にバスは出発し、ほどなく国境に着きました。全員下車してパスポートを一人ずつブース内の係官に見せます。係官はパスポートをスキャンして入国スタンプを押してあっという間に完了。北マケドニアの出国スタンプはなく、コソヴォの入国スタンプだけ付きました。1か所の国境管理事務所で2か国の管理をしているようです。こういうのって、常識を打ち砕かれるようで気持ちいいですね。ともあれ、コソヴォに入国しました。

 その後プリズレンのバスターミナルStacioni i Autobusëveに到着。ここも美しい町並みですねえ。ともかく次のチケットを確保せねばなりません。ところが、チケット売り場はあるものの係の人がいません。バスの並んでいるところに、ペヤと書いてあるのを見つけたので、発車時刻前にここに来て乗車することにします。

 プリズレン発着の時刻表はこちらです。地名以外の単語が読めぬ。首都プリシュティナ、ペヤ、ジャコーヴァ、ラホヴェツ、ジランなど国内各地に出発可能。





 ペヤ行きが出る17:45までまだ時間があります。それなら、と街歩きに向かいます。

2019年8月23日金曜日

オフリド旧市街とスヴェティ・ナウム修道院(北マケドニア編)

 代理店訪問後に少しだけ時間があったので、オフリドОхрид旧市街の教会へ行くことにしました。


 頂上に登り、湖を見下ろす場所に立つ聖パンテレイモン修道院Свети Пантелејмонへ。キリルとメトディウスの弟子、聖クリメントСвети Климентが893年に建設しました。キリル文字や典礼を教える学校があり、多くの弟子がここで学び、ここが文化の中心になりました。そもそも、キリル文字はクリメントが作ったという話も聖者伝にでています(キリルが創ったのはグラゴール文字。複雑ですね)。その後、オスマン帝国領になり、15世紀にモスクに作り替えられますが、発掘作業を経て2002年に現在のように修道院が再建されました。


 地下からはトンネルや地下聖堂をはじめとする遺構が多数発見されています。壁の遺構は創造力をかき立てます。
 

 その後、途中にある古い教会を回りながら、急ぎ足で旧市街を下ります。いやあ、ここはホントに美しい町でした。






 下りてきた時点で17:40くらいでした。実は、この町にいる間にスヴェティ・ナウム修道院Манастир Свети Наумに行きたかったのです(オフリド湖南岸。町からは15キロ程度南)。この日がラストチャンス。オフリドからはバスが出ているのですが、あまり本数がありません。バスターミナルでもらった時刻表(平日)はこうです。左側がオフリド発、右側が修道院発の時間です。


 修道院は19:00まで開いているので、今から行くなら往路はタクシーにして、1時間ほど見学し、19:20修道院発の最終バスに乗って帰ってくることができます。旧市街の端の大きな道路沿いに客待ちのタクシーが何台も停車していたので、先頭にいたドライバーに聞いてみると、オフリドから修道院までは片道1000デナルまたは15ユーロだと言います。背に腹は変えられないので了承して出発。湖沿いを南へひた走ります。


 このとき後部座席でこっそり所持金を数えてみたところ、デナルでは990弱、ユーロは細かいのが14.30という、どちらの通貨も絶妙に惜しい金額しかないことが判明しました。うーん、どのように払うべきか。ほかに20ユーロ札を持ってはいたものの、お釣りはデナル払いになる可能性が高いでしょう。翌日中には出国するので、そんなに手持ちのデナルは要らない。結局、現地到着時にドライバーに1ユーロいくらか聞き、「60デナル」と言われたので、14ユーロ+60デナルで事なきを得たのでした。

 修道院に18:20くらいに到着しました。制限時間はちょうど1時間。急いで手前の公園を抜けて修道院へ。左手にはマーケットが並ぶ。
 

 修道院の入り口。水着姿、ペット同伴は禁止です(当たり前ですが)。




 敷地は無料で入れますが、赤い石造りの教会へは100デナルの入場料を払って拝観します。ナウムさまの聖骸あり。
 

 売店だけでなく、レストランや宿泊施設もあり、かなり広くて整備されています。修道院の中ではさまざまな色の孔雀が飼われていました。
 


 

 帰りのバスを逃すと後がないので、少し早めに門のところに戻ってみると、出て右手の車用の駐車場に赤い小型バスが停まっていました。レトロな外観なのでツアーバスかと思いましたが、乗客の面々は地元の人たちのようです。行先を聞いてみると、オフリドとのことなので乗り込みました。100デナルです。

 満席に近い状態で出発しましたが、時間は19:10。バス停の表示やバスターミナルでもらった時刻表では最終バスは19:20発となっていたのですが、他にもバスがあるんだろうか。

 オフリドの中心部に入る手前の自動車道で降車しました。時刻は20:00近く。太陽が沈み、だんだん暗くなってきました。仕事が残っているものの、旧市街の夜景も一目見たいですし、お腹も空きました。夕食をとって、湖沿いのライトアップを見てから、帰って仕事をすることにしよう。


 近くにあったレストラン「マケドンスカ・ソフラМакедонска софра」で、ホームメイドビールとマケドンスカ・チョルバ(マケドニア風スープ)を注文。スープは肉や野菜が煮込んであって、少し白っぽくとろっとしています。暑くて衰弱気味の身体にしみこみます。スープが100デナル、ビール400mlが80デナルでした。
 

 旧市街はまるで日本の夏祭りの縁日のような活気があります。特設ステージでコンサートをしていましたし、ポップコーンや焼きとうもろこし、わたあめの屋台も出ていました。オフリド湖で養殖する淡水パールの店が多い点はここならではでしょうか。


 こちらは帰ってもう一仕事です。明日は5:30のバスに乗るので、早く切り上げなければ。

アルメニア編その2 エレバン探訪(part2)

漬物屋。キャベツ丸ごとがでかい。 スパイス各種。 野菜コーナーにて突然のしめじ。   ・鉄道駅横の市場(営業時間6:00~9:00) 地元の人々が通う生鮮市場を見たいならここもありです。駅舎に向かって右側にある体育館のような巨大な建物とその周辺で青果や魚、チーズ、スパイスなどを売...