2021年6月30日水曜日

モスクワはワクチン接種済み証明(QRコード)が必要

 暑い暑いモスクワ市の飲食店入店が規制になる件で、詳細が判明。
 QRコードの発行、少なくとも今のルールではロシア国内で受けたものしか使えないようです。今後、外国でワクチン接種する外国人が出てくるでしょうから、それをどう反映させるのか、あるいはこの規制条件をそのうち外すのか、気になるところ。
 8月1日から、羽田空港と成田空港で在外邦人は接種できることになる予定ですしこちらの接種の件は、7月下旬に特設サイトができて、そこからウェブ予約だそうです。

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そんなところで大使館よりメールあり。
●6月28日(月)から、モスクワ市内のレストランやカフェなど飲食店(屋内席)の利用に際しては、指定QRコードの提示が義務付けられました。
●飲食店の屋外席(テラス席)の利用に際しては、7月11日まで指定QRコードの提示なしで利用可能とされています。
●本件制限措置の終了日は定められていません。
ワクチンの接種証明有無などにより飲食店入店などの利用を制限する措置はモスクワ州でも導入されます。

とのこと。

 最後に、カフカスの想い出を。

 その1
 チェチェン人のドライバーのおじさまが、チェチェンとダゲスタンで現地の人たちに「アッサラーム・アレイクム」と挨拶していました。イスラムだなあと思い、どの地域でこの挨拶を使うのか尋ねたところ、北オセチア以外のコーカサス地方の共和国では使用するとのこと。北オセチアはキリスト教なので、ここは普通にロシア語の挨拶でした。

その2
 山岳部からの帰り道のこと。マハチカラ市まであと1時間は山道が続くというところでちょうど暗くなってきました。
 そこでドライバーがとある観光名所の石塔の横に駐車してどこかへ行ってしまいました。「何待ちですか?」とほかの乗客に聞いたところ、「ドライバーがお祈りに行っている」とのこと。
 ガイド氏もムスリムですが、ドライバー氏と違ってお祈りには行っていなかったので、信心深さは人それぞれでしょうか。
 そして、礼拝所、道端にけっこうあるんですよ。スーパーとか、トイレ休憩のできそうな場所には大概あるみたいでした。ドライバー氏、早朝からずっと一緒でしたが、お祈りに行ったのはこの時だけです。(もしかして僕が車を離れている間に、実は一人で祈っていたのかもしれませんが。)
 なぜいま?と思いましたが、これもイスラムならではなのでしょうか。
 ロシア国内でこういうのは初めてだったので、異国のようです。まさかロシアで体験するとは。

2021年6月29日火曜日

デルベントの市場に立ち寄り

 モスクワに戻りました。安心しました。
 地下鉄は、今日乗りましたが普通です。乗客は少ないですね。
 あとは飲食店が深夜営業停止になっています。

 最後にデルベントの市場を紹介しておきます。
 地元の人々の服装は、ここが一番ベール率が高かったような。店頭に並ぶ服も足元までの長いワンピースばかりです。ガイド氏曰く、イスラム教の、質素な布で作った服を着るという規則に基づいて黒色や暗色の単色が多いそうです。それ以外にも、豪奢な布でなければ良いらしく、細かい柄や明るい単色も見かけました。



 
 男性服の店も負けず劣らず多数あります。服屋と言えば、普通は大半が女性向けだと思っていましたが、ここではそんなことはありません。










 ダゲスタンに入ってから、トマトがうまかった。この写真のトマト、モスクワで買うと1キロ200Rくらいするのですが、ここでは50R4分の1で購入可能。隣の緑色の実はベニバスモモАлыча。単体だとかなり酸っぱく、コーカサス諸国で食べられるトケマリТкемалиという酸味のあるソースの原材料です。

 



 大量のヒヨコ!



 


  大量のスパイス。中東のバザールのようです。



 こちらはウルベチУрбечという、各種ナッツやシード類が原料のソース。色が違うのは原材料が異なるためです。ピスタチオ、ヒマワリ、スモモの種の中身など。麻の実Конопляというのもありました。それって、大麻ってこと?いや、大麻は葉っぱだったか。店のおばちゃんに「頭の働きを助ける」と言われたのですが、それは大丈夫なんだろうか。

 ガイドのおばちゃんにどのように使っているか聞いたところ、普段から頻繁に食べることはないものの、ラマダンのときは朝食時に食べるのだそう。原材料がナッツ類なので腹持ちするため、日中に食事できないラマダンの時期にはいいそうです。


 そうそう、結局、昨日のマハチカラでの空港行きは、ツアー会社のコンタクトパーソンの人がガイドに指示して、ちゃんと送ってもらえましたが、コンタクトパーソンとの関係が悪かったら(あるいは一人でも何とかなるだろうと放置されたら)、勝手に一人で対処しろと言われていたでしょう。ヤンデックスタクシーが使えたので、何とかなることは確認できました。


 ともあれ、数日は体力回復に努めます。

2021年6月27日日曜日

デルベント市内めぐり

 デルベント城塞はこの地域で採れる砂岩でできています。今でもこの地域の主要な建材として使用されているんだとか。



 入場料一覧。



 
 入るとすぐにこんな穴が。覗き込むと、観光客が投げ入れたらしいコインがたくさん落ちています。
 ロシア人曰く、通常は水場でやりますが、コインを投げ入れるとその場所にいつかまた来ることができるという迷信があります。そのため、これ自体は観光名所でよく見られるやつです。しかし、上の看板によると、ここは「18世紀の地下牢」。うーん、城塞にはまた来たいですが、ここの中は勘弁ですな。



 19世紀の、軍事捕虜の収容施設。いまは中に売店やちょっとしたイベントコーナーがあるようです。



 6~17世紀の水道の遺構。どの都市もそうですが、水の確保は都市建築の重要事項です。城塞を最初に築いた建築家たちも、住民に水を供給するための水道と地下貯水施設を作りました。石造りの城塞に関する最も古い記録は、ササン朝ペルシャのホスロー1世Хосров I Ануширван(531~579年)の時代。デルベントの町の大規模な水道工事が行われたのは少し下って8世紀、アラブ人の手によるものです。現在デルベントに残る過去の貯水施設は、このナルィン・カラと市内2か所の合計3か所あり。今でも発掘調査をすると中世の水道や井戸が出てくるんだとか。



 白い丸屋根のあるこの建物はハマム。



 
 天井の採光窓から月のように床に明かりが落ちます。



 ハマムの内部。



 
 城塞の壁伝いに半周します。



 

 写真だと分かりにくいですが、それなりの高さです。片側、落下に注意です。

 
 城塞を降りて旧市街へ向かいます。


 
 門をくぐるとこのような細い道が続きます。
 


 
 女性専用のバーニャ。

 

 
 結婚式前に花嫁は必ずここに来たそうです。



 ジュマ・モスク。
 
 

 
 一部工事中でしたが、内部は入ることができました。




 このあと、バザールへ向かいます。

 それにしてもようやくモスクワに戻れますね。この地は楽しいけれど、流石に疲れてきた。

2021年6月26日土曜日

デルベントへ侵攻

 ダゲスタン共和国で一番楽しみにしていたのが、デルベントです。今から5000年前には存在していたと言われ、ロシアの中で最も古い都市に挙げられています。デルベントの丘に初めて要塞が登場したのはB.C. 87世紀だそうです。その後、7世紀から10世紀にかけてデルベントはダゲスタン南部と共にイスラム化し現在に至ります。デルベントがロシアに併合されたのは1806年とのこと。


 

 南に行くとアゼルバイジャンのバクーがあります。

 


 デルベント旧市街。ナルィン・カラНарын-калаと呼ばれる城塞が見えてきました。いやあ、きてよかった。




 

 

 城塞の前にある展望台からは市内とカスピ海が一望できます。拡大すると、モスクもアルメニア正教会も見えます。




その隣には1213世紀の詩人ニザーミー・ギャンジャヴィーの銅像。


 支店に仕事を持ち込んだ後、更に「帰国」の準備もあるので、今日はここまでで。ごめんなさい。


2021年6月25日金曜日

マハチカラのスーパーにて

 そろそろ疲れ気味のこうや君です。会社の仕事もあり(実は観光地をめぐりつつ、いろいろと仕事もしています)、そろそろ疲れてきました。景色もいいし、刺激はあるのですが。しかしまだ、デルベントの支店に行かねばなりません。


  村への道沿いのイルガナイ貯水池。緑が美しい。

 写真のおっちゃんはガムストリに行く途中の工事現場の作業員です。私たち(グループ行動)が下村してきたところでなぜか突然、「ダブルエスプレッソ!」と言って、その場で淹れたコーヒーを2杯、出してくれたのです。一つは別の人が飲み(そのため写真にはカップが一つしかない)、もう一杯を僕がいただきました。「いいんですか?!」と戸惑っていたら、ガイド氏が「飲まない?」と言ってきたので、有り難く頂戴しました。ヘトヘトだったのですが、これでシャキッとしました。

 ところで今日はマハチカラに戻り一泊。帰りに宿の近くのスーパーに立ち寄りました。何か目新しいものはないものか。

 発見しました。ヒンカル・ラクスキーХинкал лакскийと書かれています。ダンプリングですね。茹でて肉などに添えて食べます。

 

 アジア系食材もありました。韓国系カップ麺や海苔、おお!蕎麦の麺なども。久々に食べるかな。


 そうそう、それから砂漠で蚊に大量に刺された後、あのおばちゃんお勧めの薬では効かなかったです。大変でした。保冷材で冷やすのが一番効果的ですね。

ダゲスタン、ガムストリ村訪問

  ダゲスタン山岳部、ガムストリ村を訪問後、下山中です。





 写真の村は廃墟ですが、最後の住民が亡くなったのが2015年で、その人の家がこの村の見どころ(?)になっています。5年も経てば、その人の家すらすっかり廃墟と化していました。

 それにしても、このあたりの廃村も現役の村も、昨日見た限りみんな山のてっぺんにあります。お陰様でこのガムストリ村、途中までしか車では行けなくて、まずは山の下から中腹まで、氷のバイカル湖でもお世話になった「ガゼリキ」に乗り換えて、それからさらに徒歩で1400mほどを40分くらいかけて登りました。この山岳部の住民は、健脚でいらっしゃいます…

 この村が何年にできたのか、数百年はあるみたいなのですが、調べてもはっきり書いたものが見つかりません。ですが、カヒブとゴールという村も山岳部にあって、カヒブはデルベントに並ぶくらい古いという説があるという記事は読みました。
 それで本当はカヒブにも行きたかったのですが、空いているのが1日でしたので、さすがに無理でした…

マハチカラ便り

 ただいまマハチカラのホテルにいますが、暗くなる前にチェックインしたので、カスピ海まで一人歩いてきました。大きな道路を歩いている分には、一応大丈夫そうです。人通りもかなり多いです。

 支店の地元民のおっちゃんに、カフカス(コーカサス)では外国人が一人で歩いても大丈夫かと直接聞いてみました。彼曰く、大丈夫、遅い時間でも、さすがに一人ではないけれども地元の女性でもレストランなどに出歩いているとのこと。
 ただ、注目されたりじろじろ見られたりすることは避けられないだろうとのこと何かあったらすぐ私に電話しなさい、と言っていただきました…

 しかし、それでも一人出かける必要がありました。
 実は昨日訪問した、ソ連映画「砂漠の白い太陽 Белое солнце в пустыне」のロケ地となった砂漠には蚊が大量にいたみたいで、両足ともひざから下が数十か所刺されて怖いほど真っ赤になりました。
 昨日は無理でしたが、今日はチェックイン後に薬局へ行く時間がありました。そしてかゆみ止めを買う際に2種類あったので、薬剤師に「どっちがいいですか?」と尋ねたら、僕の後ろにいたおばちゃんが「これ、私も使ったけどよかったわよ」と助言。
 そちらの方が75R、もう一方が200R以上でしたので、おばちゃんの安価なお勧め品を買ってみました(まあ、どうせ経費で落とせるので200Rでもよかったのですが)。塗って数時間、今のところいい感じです。こんなふうに、おばちゃんはどこの地でも(ややお節介なときもありますが)親切でした。そしておばちゃんと薬のおかげで今日はちゃんと眠れそうです。

 考えてみればおばちゃんも一人で歩いていましたし、地元民にじろじろ見られるのは嫌ですけれど、町中でうろうろするのではなく、どこかを目指してまっすぐ歩行中なら声をかけられる確率は低いでしょうから、ちゃきちゃき歩いている限り、安全度で言えばそんなに危険ではないかもという印象です。駅に行っていないのでまだ何とも言えませんが。

 明日はダゲスタンの山岳部へ行きをお願いしました。朝が早いので、寝坊しないように頑張ります…

2021年6月24日木曜日

グロズヌイからダゲスタン共和国の首都マハチカラへ移動。

 本日の宿はマハチカМахачкалаですが、途中で「いいところがある」と連れていってもらった場所があります。その名はバルハン・サルィクム(サルィクム砂丘)Бархан Сарыкум。ソ連映画「砂漠の白い太陽」のロケ地の一つです。ソ連時代から、宇宙飛行士たちがソユーズ宇宙船で打ち上げ前夜に必ず見るという映画です。 





 アスファルトの連邦道路を離れ、でこぼこ道を走ります。ガイド氏が「今日の宿はこの向こうですよ」とジョークを飛ばすので、一瞬、野宿かテント泊かと思ったほどの自然の中です。




 森を抜けると……

 



 入り口にたどり着きました。




 入場料は128R。チケットを買って自然公園内に入ります。



                  

 舗装路が頂上まで続いています。ヘビとかサソリとか、色々出るらしいので、道を外れないようにと注意されました。実際に、ロシア・レッドブックの登録種を含む希少な動植物がたくさん生息しています。







本日最後の体力を振り絞って、もう少し上ります。



頂上から来た道を振り返るとこの山並み。頂上には展望台もありますが、砂丘を歩くこともできます。

 



 太陽がゆっくり沈んでいきました。




 この砂丘がどのようにして形成されたのかはいまだに解明されていないそうです。砂丘の広さは4キロ×12キロで、夏と冬で風の吹く方向が反対に変わるので、夏に運ばれた砂が冬に押し戻されていつも同じ場所にあるのだとか。


 

 この砂丘、意外と湿度が高く、蚊が大量に飛んでいました。無防備だったこうやくんは大変なことになりました。ここへ行く方は虫除けスプレーを持って行くことを強くお勧めします。

 

 このあと、マハチカラに到着したときはすでに真っ暗。疲れ果ててフラフラ。

2021年6月23日水曜日

チェチェンからダゲスタンへ車で移動

 さて、きれいなチェチェンЧеченяからダゲスタンДагестанに入ると、埃っぽいと言いますか、ごちゃごちゃしているといいますか……これはなかなか凄いところに来た、と感じはじめました。

 路上ではしばしばこんな果物売りの方々を見かけます。

 今はちょうどイチゴ、サクランボ、アプリコットが多かった。



 こちらはまた別の場所。白いのは桑の実です。



 ガイド氏も路上のトラックから購入。味が濃くておいしいです。つまみながら、先へ進みます。

 それから、写真を撮れなかったのですが、ガソリンスタンドと路上にたくさんいる家畜のことで。連邦道路を走っていると、両サイドにたくさん牛がいるのです。たまに羊とか馬とかヤギとかもいるのですが、主に牛です。
 その道中、ガソリンスタンドでトイレ休憩を取りました。よくあるようにガソリンスタンドにはミニスーパーが併設されています。そこに大きな貼紙があって、「新鮮な肉あります」という文字の上にウシの顔写真が!さっきその辺を歩いていた、ああいった牛の肉かなあ…と思ってしまいました。切ない。
 ちなみに、ガイドのおっちゃんに、牛と羊のどちらをよく食べるか聞いたところ、半々くらいとの答えあり。

 それから、故地を訪れる方のためにミニ情報を。ハザヴュルトХасавюртから向こうは地元民がタジク人と呼ぶ物乞いが路上にいたり、トタン屋根しか見えなかったですが市場が広がっていたり、連邦道路なのに片道1車線で渋滞したり、両サイドには小規模の車整備工場があったりと、いきなり混沌とする感じでした。都市部を過ぎると全方位を自然に囲まれた素敵な場所になるのですが、ハザヴュルトは絶対一人で歩きたくないと思いました……

 常にガイド氏やグループのロシア人といるので、本当の危険度が分かりにくい。

アルメニア編その2 エレバン探訪(part2)

漬物屋。キャベツ丸ごとがでかい。 スパイス各種。 野菜コーナーにて突然のしめじ。   ・鉄道駅横の市場(営業時間6:00~9:00) 地元の人々が通う生鮮市場を見たいならここもありです。駅舎に向かって右側にある体育館のような巨大な建物とその周辺で青果や魚、チーズ、スパイスなどを売...