2021年5月31日月曜日

モスクワ東駅の供用開始

  モスクワの新駅、東駅が供用開始となりました。

 報道によると、モスクワを南北から経由する列車について、クルスク駅を通らずに済ませるというのが大目的のようですね。メトロ赤線やМЦКの駅とつながっているので、便利な感じはしますね。
 ただ、こうなるとクルスク駅の地位が低下するような、そんな気もします。といっても、東駅はホーム数も少なく(駅の西側に土地があるので、もう1-2本くらいホームを作れそう)、当分はうまく棲み分けできそうですね。

2021年5月30日日曜日

クリミア報告3(最終回)

クリミアКрым報告の最終回です。今回も報告からの伝聞記事なので、読みづらいですが、ご海容を賜りたく思います。 

〇現地ツアーについて
 街中のいたるところにエクスカーションのブースがあるが、シーズン中しかやっていないらしい。4月は全部シャッターが下りていたとのこと。逆にシーズン中ならいつでもツアーを予約でき、種類も豊富みたいです。



 とは言え、オフシーズンでも現地旅行会社はツアーをやっているので、ネットで見つけて予約し、一人ではアクセスしにくい洞窟ツアーに参加できたとのこと。ムラモルナヤ・ペシェラМраморная пещера、クラスナヤ・ペシェラКрасная пещераなど、洞窟がいくつもあり、それを見てきたと報告を受けました。写真はクラスナヤ・ペシェラ。こうや君は行ったことがないのですが・・・美しいですねえ。



〇バフチサライではガイドの偽情報に注意
 バフチサライにはプーシキンが書いた「バフチサライの泉」の舞台があり(ハンの宮殿Ханский дворец)、その先の山頂にチュフト・カレЧуфут-Калеという洞窟都市があるらしい。5~6世紀にビザンツ帝国の要塞として生じたものらしい。A氏は訪問日において、午後から1.ハン宮殿→2.聖ウスペンスキー修道院→3.チュフト・カレというルートを考えていたとのこと。調べてみました。緑線がバス、青点線が徒歩のルートです。


 それでハンの宮殿に14:00に着いたところ、ガイドツアーに混ぜられ(一人で自由には見学できなかったとのこと)たとのこと。
バフチサライの泉とプーシキン


 見学が14:30に終わった時点でガイドは「チュフト・カレは15:00までだから、皆さんは間に合わないと思いますが…」と言われたそうです。しかし、A氏はここで思い出したらしい。今年2月の口コミで、「チュフト・カレの営業時間について、ガイドが実際と異なる情報を流している。閉まっていると言うが、本当は開いているから信じてはいけない」とあったことを。それでダメもとで山を登ることにし、15:40くらいにやっとたどり着くと、チュフト・カレの入り口には17:00までと書いてあり、入れたとのこと。
チュフト・カレ


ちなみに足元を見るのが怖い高さだったが、絶景でもあったとのこと。
 この下から登ってきたとのこと。



〇その他
ハンの宮殿だけでなく、マサンドラ宮殿(皇帝一家が滞在したヤルタの城)、リヴァディア宮殿(ヤルタ会談の会場)、ヴォロンツォフ宮殿(チャーチルが宿泊)、チェーホフの家博物館(結核療養のためにヤルタに作家が建てた)とも、なぜか勝手に見学できず、ガイドと一緒に見学ツアーとなってしまったらしい。

ヴォロンツォフ宮殿




 セヴァストポリの世界遺産「ケルソネソス・タウリケの古代都市とその農業領域」。聖ヴォロディームィル大聖堂と都市遺構。

 話を聞くと、やはりクリミアは一度行かなければならないと思うのですが、行っていいものかどうか。行っている日本人の話も聞くけどねえ。
 

2021年5月28日金曜日

ロシアの食堂車に黄昏の時間が到来か

 食堂について、大幅削減の計画があるとの報道がありました。
 かつての日本でも同じでしたが、食堂車での食事は「高価」であり、それゆえ、フィルメンヌィ列車や観光列車を除き、別の形で乗客には食事が提供されるべきであるという考えがあるとのこと。既に出来上がった食事を提供するとか、スマートフォンで予約して、自分の客席で食べるとか、持ち込んだ物を温めることが出来るようにするとか、個人的には明確なイメージがわかない代替案が挙げられています。
 まあ、食堂車は場所もとるので、多くの列車には不要なのかも知れませんが、日本での減少過程を思い出すとき、なんだか、ロシアの食堂車にも黄昏の時期が来ているような気がしてなりません。
(写真は記事を載せていたコムソモリスカヤ・プラウダから。)


2021年5月26日水曜日

春のクリミア2 シンフェローポリとアルシタ

 部下にして友人のロシア人の旅行記の聞き取りとそれを参考にした記事づくりで時間がかかりました(本記事はこうや君が自らは行きにくいクリミアКрымの話です。伝聞をまとめたので読みにくく、先に謝っておきます。)。

 市内のバスやトロリー、マルシルートカは町によって1922R(カード払いだと3Rほど安くなる、車内のリーダーにカードをかざすだけとのこと)で、公共交通機関は安かったとのこと。1.52時間かかるシンフェロポリСимферопольアルシタАлуштаで115Rだとのこと。しかし山がちな地形だったり道が細かったりで、やはりトロリーはのろいようです。同じ道を通るならバスの方が早く、車だともっと早いとのこと。例えばマサンドラ宮殿からチェーホフの家博物館まで、バスだと1時間近くかかるけれども、タクシーだと15分という差らしい。同じく、地図上で徒歩で15分と書いてあっても急な登り坂だったりして、実際にはもっとかかったとのこと。

 

以下、彼からもらった写真にコメントを付けています。


シンフェロポリ鉄道駅




 時計塔に向かって右側の様子。写真左手がトロリーバスの切符売り場、右手の茶色い建物がバスターミナルで、都市間バスのチケットはここで買うのだそうです。



 

頼んでおいたシンフェロポリ発の近郊列車時刻表


 

近郊列車。シンフェロポリ→エフパトリヤ行き。これってウクライナの車両っぽいのですが。




ヴォロンツォフ宮殿のあるアルプカАлупкаのローカルバス。このバスはウクライナものでしょう。


 

アルシタのバスターミナル。




アルシタのバスターミナルにあったバス路線図だそうです。



 

セヴァストポリのローカルバスのバス停。



これも頼んでおいたもの。セヴァストポリの鉄道時刻表。撮ってきてくれてありがとう!



2021年5月24日月曜日

2021年春のクリミアの状況 第1報告

  すみません、アルタイ記事を進めようかと思っていたのですが、クリミアКрымに派遣した友人A氏(一応部下。ロシア人)からクリミアの興味深い話を聞いたので、それを先に。

 まずは①宿泊施設について。
 2月の時点ですでに今夏のホテルが全部埋まっていると聞いたとのこと。原因は海外旅行ができないかららしい。今回A氏は、ヤルタからも、 空港のあるシンフェロポリからもアクセスのいいアルシタАлуштаで宿をとったのだが、彼がそこで知り合った旅行者のロシア人曰く、4月まではアパート(民宿)を借りて11500Rだったのに、5/1のシーズン開始後は14500Rになったとか。あとそもそもヤルタやセヴァストポリは宿が高いと僕も聞いていましたが、こんなにも値段が変わるのですね。


 また制裁のためBooking.comなど西側のホテル紹介サイトではクリミアには物件がないと表示され、使えないとのこと。これは僕も確認しています。ただし、ヤンデックスなどロシアのサイトで検索すると出てきます。同様の理由で、ロシアで発行されたクレジットカードは使えますが、ほかの国のカードは現地では使えなかったとのこと。


 ②ロシア本土の大手が存在しない。携帯電話プロバイダ、スーパー、タクシーで気づいたとのこと。

 

 携帯電話は、ロシア本体の大手プロバイダは海外ローミング扱いでしか繋がらないとのこと(追加で1300R以上かかり高額になる)。そしてヴォルナВолнаとかWin Mobileとか、現地限定のプロバイダがあるとのこと。(補足ですが、A氏は当初Win Mobile100Rでネット無制限のプランを買うつもりだったが、空港の同社ブースではこれが600Rだったので断念し、ほかの店舗は駅から遠かったので、駅前にあったヴォルナで300R25GBSIMを取得したとのこと。同社は450Rでネット無制限もあるらしい。まあしかし、会社の経費で落とすのだから、気にしなくていいのに!)

 

 スーパーも、ピャチョロチカПятёрочкаやマグニトМагнитといった大手チェーンはなく、Пудなど地元のチェーンとか1軒だけの店とかだけらしい。値段はモスクワ並みとのこと。タクシーも、ヤンデックスタクシーやシティモビルはなく、やはり地元のアプリやタクシー会社に電話(又は白タク)だそう。ヴォルナВолна(ケータイと同名)というアプリを使ったとのこと。これだと、現金、カード(要事前登録)とも使用でき、運賃はモスクワより安く、1015分ほど乗車し(58km)で200R前後くらいだったらしい。


 伝聞なので読みにくいかと思いますが、そもそも報告から聞き知ったことですので、読みにくさについてはご容赦ください。

 

 もらった写真も多少載せておきます。A氏に自由時間をかなり多く与えたので、いろいろ回ってきたとのこと。


 マサンドラ宮殿



 チェーホフの家博物館



 リヴァディア宮殿




2021年5月23日日曜日

アフガニスタン横断鉄道建設にロシア鉄道が参加

 現在進行中のトランス・アフガニスタン鉄道(アフガニスタン横断鉄道)の建設に、ロシア鉄道が加わるとの報道あり。

 路線としては、恐らくウズベクのテルメズからアムダリア側を渡河し、アフガニスタンのマザーリシャール、首都カブール、そしてカイバル峠を越えて、パキスタンのペシャーワル(ペシャワール)までを結ぶもの。

 記事中に情報はないのですが、ウズベクやロシア鉄道の広軌でそのまま結ばれると、地政学的な状況に多少影響しそうですね。ただ、マザーリシャリーフからはアフガニスタンの標準軌でしょうねえ。


2021年5月22日土曜日

アルタイへの旅(計画編)

 ロシア、モンゴル、カザフスタンに囲まれたアルタイ山地Алтай。最近、出張ついでに行く機会があったので、ご紹介します。あくまで、ついでです。




 モンゴル、カザフスタンと国境を接するこの地域には希少生物の生息する自然保護区域や古代の遺跡が広がっています。僕は、平日は仕事ですが土日がフリーになるため、せっかくなのでどこかへ行こうと考えました。この地域は明光風靡な湖や滝、青銅器時代~スキタイの石に描かれた古代壁画、約4万1千年前に人類の住んでいたデニソワ洞窟など名所がいくつもあるものの、とにかく移動時間が長いのです。未舗装道路もあるので、慣れたドライバーも必要でしょう。かつて行ったことのある人曰く、「素晴らしい場所はいくつもあったけれど、その時自分がどこにいるのか分からなかった」とのこと。自力で行くのは難しそうですし、タクシーを捕まえて連れていってもらうのも厳しいです。

 僕は土日の2日間で参加できる現地ツアーを探すことにしました。しかし、現地ツアーを検索するといろんな会社の多様なプランが出てきます。リサーチした結果、選ぶポイントは2点あると分かりました。一つ目は、当然ながら行先、二つ目は出発場所です。

 行先については、主な見どころはカトゥニ川Катунь、チュヤ幹線道路、滝、古代壁画(ペトログリフ)など特定の場所で、多くのツアー会社がそこへ行くプランを持っています。しかし距離の関係で1日や2日で全部を網羅することはできません。それから僕はテレツコエ湖へ行きたかったのですが、ここへ行くプランのある会社は少数でした。あとは、季節によって行ける場所、行けない場所が出てきます。

 もう一点重要なのが出発場所です。アルタイはリゾート地なので、カトゥニ川沿いにいくつかリゾート村があります。




 多くの観光客はアルタイ共和国の首都ゴルノ・アルタイスクГорно-Алтайскよりもこういったリゾート村に宿泊するので、ここ発着のツアーが多いようです。ホテルまで車が来て、帰りもホテル前で降ろしてもらえるので便利です。同じくゴルノ・アルタイスク発のツアー会社もあります。リゾート村のホテルは、特にシーズン中は価格が高騰するので、ゴルノ・アルタイスクの方が安く済みますが、リゾート村は自然保護区域や風光明媚な場所に近いですし、大自然の中でゆっくり過ごすこともできます。

 あとは宿とも関係してきますが、リゾート村では食事できる場所が少ない点も懸案事項です。ホテルであればレストランが併設されているので心配ありませんが、リゾート村内にはキャンプ場やコテージ貸しもあり、こういった場所だと食事は自分で賄うことになります。夏であれば売店でバーベキュー用の肉を買って、宿に大抵置いてあるバーベキューセットを借りて調理できます。しかし6月1日にシーズンが始まるまでは営業している売店やスーパーの数も限られます。シーズン中は営業店舗数が増える分解決されるでしょう。

 僕が連絡を取ったツアー会社の話では、車とガイドを貸し切ることもできるが、最少催行人数が集まり、かつ空席があれば、そこに入り込めるとのこと。まだシーズン前だったこともあり、僕の都合のいい日に希望のツアーがあるかは厳密には不確定だったのですが、ツアー会社の人曰く、見通しはあるとのこと。あとは運任せです。

2021年5月20日木曜日

モスクワ散策、シェフテル巡り2

 せっかくなので、モスクワ市内のシェフテリ建築を巡ってみることにしました。



スタートは、見学した「ストラテギヤ」のあるシェフテリ邸です。


1.シェフテリ邸(ウルグアイ大使公邸)Особняк Ф.О. Шехтеля (Резиденция послов Уругвая)
所在地:エルモラエフスキー横丁28c1 / Ермолаевский пер., 28, стр. 1/ Yermolayevskiy Ln, 28 с1
 見学したシェフテリ邸の近くに、同じくかつてシェフテリが自身で住むために建てた家があります。今はウルグアイ大使公邸になっているので、残念ながら立ち入り禁止。



2.レヴェンソン印刷所Скоропечатня А.А. Левенсона
所在地:トリョフプルドヌイ横丁9c1 /Трёхпрудный пер., 9, стр. 1 /Trekhprudnyy Pereulok, 9 с1

 ウルグアイ大使館公邸のすぐ付近にもう1軒、シェフテリの建築があります。レヴェンソン印刷所です。普段はここも一般公開されていませんが、まれに展覧会などが開催されているようです。



3.ジナイーダ・モロゾワ邸Особняк Зинаиды Морозовой。(写真はWikipediaより引用)
所在地:スピリドノフカ通り17c1 /ул. Спиридоновка, 17 строение 1 / Ulitsa Spiridonovka, 17с1
 シェフテリ建築を検索すると最初の方に出てくる場所なのですが、ここは2020年現在改修工事中で、外には幕がかけられていました。しかもロシア外務省迎賓館Дом приемов МИДになっているので、内部を見学することはできません。




4.ゴーリキーの家博物館Музей-квартира А.М. Горького。
所在地:マーラヤ・ニキツカヤ通り6/2с5 /Малая Никитская ул., 6/2с5 / Malaya Nikitskaya Ulitsa, 6/2 с5
 博物館の入り口は元々裏口だったのですが、ゴーリキーが住むようになってからこちらのみを出入り口として利用するようになったとのこと。こうすると、来客は入り口隣の秘書室前を必ず通ることになります。秘書はすべての電話に出て取り次ぐだけでなく、来客全員をチェックしスパイしていたわけです。ゴーリキーはソ連を代表する国際的な大作家でありながら、常にソ連政権の監視下にありました。
外観の写真がなくてすみません。



 現在は閉め切られている本来の正面玄関から入ると、このようになっています。
 

5.モスクワ芸術座ミュージアムМузей МХАТ。
所在地:カメルゲルスキー横丁3a /Камергерский пер., 3a/ Kamergerskiy Pereulok, 3а
 ここも一般公開されているので、チケットを購入すれば内部を見学できます。



6.ノーヴィエ・ヴォロトニキの大ピーメン教会Церковь Пимена Великого в Новых Воротниках。
所在地:ノヴォヴォロトニコフスキー横丁3c1 /Нововоротниковский пер., 3, стр. 1 /Novovorotnikovskiy Pereulok, 3, с1
 シェフテリが手掛けたのは外観ではなく、教会内部の内装とイコノスタスです。内部は青緑を基調とし、中央に置かれたイコノスタスは白く、植物のオーナメントで飾られています。内部は撮影できなかったので、実際に行った人のみ見ることができます。近くで用事のある方は立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
 

7.ヤロスラヴリ駅 Ярославский вокзал。
所在地:コムソモリスカヤ広場5 /Комсомольская площадь, 5 / Komsomolskaya Square, 5
 今回取り上げた中で、モスクワ在住者であれば見たことのある建物No.1ではないでしょうか。中心部分はネオロシア様式、装飾部分にアール・ヌーボーの植物模様などが施されています。

 モスクワ市内にはシェフテリの建築は100か所以上あるため、ごく一部だけご紹介しました。街歩きにどうぞ。

2021年5月18日火曜日

ロシアのアール・ヌーボー・シリーズ シェフテリの建築物めぐり①本人居住用の邸宅

 かつて、フョードル・シェフテリФедор Осипович Шехтельという建築家がいました。19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したアール・ヌーボーの建築家です。特にモスクワには彼の建築が多く、100軒以上の建物があります。


 海の波をかたどった階段の手すりとクラゲの形の照明が特徴の階段がよく知られていますね。
 シェフテリの建築で最も有名なのはこの手すり&照明を有するゴーリキーの家博物館でしょう。元々はリャブシンスキーという軽工業の工場経営者のために作ったアール・ヌーボーの建築でしたが、ロシア革命後ソ連政権に接収され、最後は作家のゴーリキーの住居となりました。
 


 シェフテリの作った建築物は外務省の迎賓館や外国大使館として使われていて、内部は非公開のものも。そんな中、シェフテリ本人が自分とその家族が居住するために建てた邸宅が時々公開されていることが分かり、行ってみました。



 今回見学できた邸宅。こちらは現在、人道政治学センター「ストラテギヤ」Гуманитарный и политологический центр Стратегияが入居。所在地はボリシャヤ・サドヴァヤ通り4c1 Большая Садовая ул., 4, стр. 1 /Bol'shaya Sadovaya 4c1です。



 早速向かってみます。
 この邸宅は自分と家族が住むために自分で設計した建物なので、自分の趣味や生活様式を反映した、建築家が実現したかったものが最も如実に表現されているはず。こちらの建物については写真&シェフテリ自身の説明を中心とします。



 内部のステンドグラス。
 いまでこそ内装は美しく、ステンドグラスも嵌っていますが、90年代にセンターが入居した時点では内部は壊れ、ごみで溢れていたそうです。できるだけ元の状態に戻したということですが、内装でオリジナルのものは入り口の木製の重い扉しか残っていないとのことでした。
 

 シェフテリ自身はドイツからロシア帝国へ移住した第3世代です。祖父はエカテリーナ2世がヨーロッパに対してロシアへの移住を推進する政策をとった時期にバイエルンからロシア帝国にやってきて、サラトフのドイツ人コロニーに住み始めた人で、その息子、シェフテリの父親はサンクトペテルブルグで学業を修め、商業的にも成功。同じくドイツ系女性と結婚し、ここでシェフテリも生まれました。一方、サラトフに残った伯父が事業に失敗し、多くの負債を抱えた彼はシェフテリの父を巻き込んで復活を計ります。シェフテリの父はペテルブルグからサラトフへ一家で移住し、傾いていた家業を立て直しました。事業が回復してきたところで、経営していた劇場が火事になり、消火活動に参加した父はその後引いた風邪が元で亡くなります。その数か月後、一連の事件の張本人の伯父自身も亡くなり、シェフテリ一家と伯父の妻は大黒柱を失ってしまいました。
 当時はこのような状況になると、友人や知り合いの富裕層が支援してくれるものだったそうですが、シェフテリの母の気難しく高慢で周囲と馴染もうとしない性格のせいで、サラトフという地方都市では「あの家族だけは助けたくない」と思われていたようです。
 考えてみれば、首都ペテルブルグで裕福な夫と都会暮らしを満喫していたのに、夫の親戚のせいで突然地方都市に移住せざるを得なくなったら、面白くないでしょうねえ。しかも、仕方なくついていったら夫まで亡くなってしまったわけですよ。



 (なぞの巨大なしつらえもの)

 そんな八方ふさがりな状況のシェフテリ家に、一人だけ支援の手を差し伸べた人物がいました。伯父の娘と結婚したジェギンです。彼はモスクワに住む友人のパヴェル・トレチャコフのところでシェフテリの母を家政婦として雇ってもらいました。トレチャコフと言えば、モスクワのトレチャコフ美術館の創設者の一人です。



 (おしゃれな応接セット)

 父を亡くし、母がモスクワへ去ったシェフテリは、サラトフのギムナジウムに入学しますが、成績はオール3というタイプだったそうです。しかし美術の成績だけはよかったとのこと。しかしある年、大量の授業を欠席したために退学。ジェギンは彼をカトリック神学校に入学させ、シェフテリはここを卒業後、母のいるモスクワへ行きました。そして母の働くトレチャコフの家で当時の文化人たちと知り合います。彼がここで知り合った芸術家の中には若き日の画家のイサーク・レヴィタンやニコライ・チェーホフがいました。ニコライは早逝しますが、彼を通じて兄弟である作家のアントン・チェーホフとも知り合い、生涯交流の続く仲となったそうです。



 (廊下部分もおしゃれ。丸みのある階段の入り口部分、手すり、向こうが透ける扉。照明もいい味。)

 シェフテリはモスクワで美術学校に入学しましたが、学位を取得することはできませんでした。彼はすでに活躍していた高名な建築家の工房で働き、自身の設計する建築物が街中に建てられるようになっていきます。実績を重ねるにつれ、学位がなくても実力が評価されていきました。その間の10年ほど、彼は建築のほか、本の挿絵や劇場のポスター、ボリショイ劇場の舞台美術、レストランのメニュー表など、さまざまなデザインを手がけています。

このツアー内で紹介された資料の中に、アントン・チェーホフが金に困窮したときにシェフテリに送った手紙がありました。「君が金を貸してくれなかったら、僕は死んでしまう」と。しかも首を吊った針金人間を描いて、横に「これが僕だ。」と書いてあります。うーん、チェーホフはデビュー当初ユーモア作品を発表していただけあって、金を無心するにもセンスが光りますなあ。



 (絶妙な曲線美が至る所に。)

 モスクワを中心に多数の建築物を残し売れっ子建築家となったシェフテリですが、革命後、ソ連時代になると、ソ連政権が個人による建築を禁じたため、従来の主な依頼主だった個人客からの注文がなくなります。ソ連時代になると建築を含む芸術の主流派はロシア構成主義やロシア・アヴァンギャルド、社会主義リアリズムと変遷していき、シェフテリが得意としていたアール・ヌーボーは見向きもされなくなります。1920年代はわずかしか作品を残すことができず、最後は薬を買うにも足りないほどの年金をもらう生活だったそうです。ソ連時代、建築の教科書にロシアのアール・ヌーボー様式は記載されませんでした。現代ですら、大量の博物館を抱える国であるにも関わらず、ロシアにシェフテリの博物館や記念碑はないそうです。



 屋上からはボリシャヤ・サドヴァヤ通りが一望できました。 

2021年5月16日日曜日

スプートニクVと新駅供用開始

  仕事が忙しく、記事のアップが滞っています。済みません。しかしまあ道楽でやっていることなので、適当にお付き合いくださる方がお互いにストレスがなくて良いかもしれません。

 ところでここ二ヶ月ほど、ロシア人だけでなく、僕の直接の知り合いの日本人駐在員の中にもスプートニクVを接種した人が複数出てきました。

 人によって体調への影響の出方が違うようですが、基本的に熱は出るみたいですね。
感染するのは怖いですが、ワクチンも怖いですねえ。

 さて、メトロ赤線、チェルキーゾフスカヤ駅隣接のモスクワの長距離新駅(チェルキーゾフ駅と呼ぶメディアと東駅と呼ぶメディアあり。市長HPだと東駅)の供用というか、列車の発着・到着が29日からスタートするとのこと。

 一部の列車を除き、クルスク駅経由だったニジニ・ノヴゴロド行き(発)ストリーシ、ラストチカがこちらの経由になるとのこと。新駅はクルスク駅と同じく通過駅型の駅なので、ペテルブルクに抜ける列車もあるとか(写真は市長のHPから)。


2021年5月15日土曜日

周遊列車に新プラツカルト

 政府がアメリカとチェコを「非友好国リスト」に入れたとか。どうのこうの言って、トランプさんとはうまくやれていたのが、バイデンさんに変わって、きな臭くなってきました。 

 さて、ヤンデクスのニュースを見ていて知ったのですが、先に紹介したモスクワ・ウグリチ、ノヴゴロド・モスクワを周遊する列車に、上段のないプラツカルト(三等寝台)が連結されているとのこと(下の写真はヤンデクスより)。

 絵まで飾ってあって、二等寝台よりもおしゃれですよねえ。

 とは言っても、普通のプラツカルトも連結されているとのことなので、予約時にうまく選ばないといけないですね。

2021年5月12日水曜日

ヴォロコラムスク修道院訪問(内部。そして主に帰宅編)

 ヴォロコラムスク修道院は15世紀の末にヨシフ(イオシフ)・ヴォロツキーが開いた修道院で、16世紀には弟子たちが当時の教会内で多くの権力を有し、また荘園も数多く全国規模で持っていたとのこと(公式ページはこちら。http://iosif-vm.ru)。



 内部を公開していたのは中央にあるウスペンスキー聖堂と、もう一つの建物内の聖書の展示のみでした。
 


 


 修道院を囲う高い壁。




 修道院と池や湖って、本当にぴったりですねえ。

 
 さて、そろそろバス停に向かいます。
 復路はテリャエヴォТеряево/Teryaevoまで15分ほど歩き、そこからバスでチスメナЧисмена/Chismenaに出て、近郊列車に乗り換え、そのままD2でモスクワ市内へ。ここは鉄道駅の横にバスが着きます。



 バスの本数が少ないので、次のバスは逃したくないところ。



 湖の間の小道を突っ切ります。
 


 ひたすら直進すると、テリャエヴォのバス停が見えてきます。よくある形態のバス停です。



 こちらは時刻表。こういう(汚い)貼り方もよく見かけますね。
 


 23番バス。乗客は少ないです。こちらも37R。

 バス停とプラットフォームの間にある有人切符売り場は営業していたので、ここでチケットを購入します。なお、チスメナに着くと、雨が降り出しました。吹き曝しなのでかなり寒いです。


 幸いにも程なくして列車が来ました。МЦДのイヴォルガ君。モスクワ市内に到着するまで2時間以上かかりましたが、快適でした。
 

アルメニア編その2 エレバン探訪(part2)

漬物屋。キャベツ丸ごとがでかい。 スパイス各種。 野菜コーナーにて突然のしめじ。   ・鉄道駅横の市場(営業時間6:00~9:00) 地元の人々が通う生鮮市場を見たいならここもありです。駅舎に向かって右側にある体育館のような巨大な建物とその周辺で青果や魚、チーズ、スパイスなどを売...