2017年3月31日金曜日

ウクライナの長距離列車8:スムィ発

 スムィСумиは田舎ですが、県都であるので比較的長距離列車が充実しています。



 カッサではもちろんカードは使えません。



・ハルキウХарків行き(スムィ始発)
1651発
二等寝台123G、三等寝台81G、二等座席78G



・ルィシチャンシクЛисичанськ行き
0543発
一等寝台442G、二等寝台193G



・コスチャンティニウカКостянтінівка行き
0315発
一等寝台318G、二等寝台145G、三等寝台94G



・ザポリッジャЗапоріжжа行き(スムィ始発)
2150発
二等寝台234G、三等寝台135G


・ゼルノヴェЗернове行き(スムィ始発)
1542発
二等寝台150G、三等寝台96G



・ノヴホロド・シヴェルシキーНовгород Сіверський行き
1542発
二等座席130G



・キエフКиїв行き(スムィ始発)*インターシティ
0532発
二等座席142G



・ウシホロドУжгород行き
1437発
二等寝台568G、三等寝台304G



・ミンスクМінск行き
1005発
二等寝台1435G、三等寝台907G



・ペテルブルクСанкт-Петербург行き
1045発
二等寝台3228G、三等寝台1913G



・モスクワМосква行き(スムィ始発)
1651発
二等寝台3006G、三等寝台1691G



*上記の列車は毎日便とは限りません。また時刻や料金は日によって変わることがありますので、上記情報があくまで参考程度に。

 こんな地の果て(ごめんなさい!)からもいろんなところに行くことが出来ます。

2017年3月29日水曜日

ハルキウからスムィへ移動(ウクライナ編)

 ハルキウは二ヶ月前に滞在し、今回もそれなりに見て回ったので、新しい町に移ることにしました。ウクライナ北東部の町スムィです。ハリコフからは鉄道で一本です。ここに何かめぼしい観光資源がある、というわけではないのですが、少しでもモスクワに近づこうと思いまして。
 そこで前日に鉄道駅でチケットを購入。二等座席で78.86Gなり。



 朝のホロダ・ホラ。ここからメトロで鉄道駅に向かいます。



 そうしてメトロで鉄道駅に行き、地下通路で地上に上がろうとした時、その災難は生じました。警官に呼び止められ、派出所のようなところに連れ込まれました。そこで荷物検査をするとのこと。警官がもう一人やってきて、有り金も全部机の上に出せと指示されました。最初は手元のバッグにある分から見せていたのですが、そのうちに警官の一人が勝手に旅行鞄をごそごそ探り出す始末。金を無造作に机の上にばらまき、日本円、米ドル、ユーロ、ロシアルーブリ、ベラルーシルーブリ、ウクライナフリブニャ、モルドヴァレイ、ルーマニアレイ、ブルガリアレフ、ポーランドズロチー、チェココルナのカオス状態になりました。
 列車の時間が近づいたことを告げると、全部しまえという彼ら。「あなたの協力に感謝します」と握手まで求められて、派出所から追い出されました。時間がないので適当に集めてホームに向かいましたが、やはりやられていました。日本円の10000円札が抜き取られていました。

 ホームからエスカレーターで上がって結構すぐのところでやられました。注意すべし。
 
 ハルキウ駅の地上部分に出たところ。まず列車ホームを掲示板で見つけないといけません。



 スムィ行きは一番向こう側のホームに停まっているとの掲示あり。地下通路で向こうに向かいます。




 モスクワからの列車がそのままスムィまで行くのですが、それにハルキウから新たに二等座席が増結されているようです。それ故、客車列車でした。いつものように、出発後、車掌がチケットを一旦回収します。



 こちらが鉄道のチケット。使用済みなので、切れ込みが入れられています。



 一応フィルメンヌィ(フィルモヴィー)車両でした。ウクライナにしてはいい車両ですね。向き固定の非リクライニングシート。



 時間通りにボホドゥヒウに到着。



 キリキウカ駅。



 スモロディネ駅。



 こうして到着したスムィ駅。気温がやや下がりました。



2017年3月27日月曜日

支店長のハルキウ離脱と新たな旅立ち

 ハルキウに入っても次から次に舞い込む仕事に対応する支店長。とは言え、流石にハルキウに滞在する意味はなく、支店長はモスクワ・クルスキー駅行きの列車を取りました。ちょうど僕が12月末にハルキウ入りした列車です。
 夜のハルキウ駅。雪がなくなっていました。



 国際列車のカッサはややわかりにくい場所にあります。



 こちらではカードが使えます。



 支店長との晩餐では、ハルキウとは思えない内装や賑わいの店「プーシカ」で豪勢に食事を堪能。ただこの店、混みすぎていて、店員がついていけていない感じでした。



 また、マルシルートバスが値上がりしていました。5.5Gが6.5Gへ。



 こうして、支店長はモスクワ行きの列車で旅発っていきました。お世話になりました。出発前に車掌に写真を撮ってもらいました。
 尚、この列車はハルキウ駅で出発の30分前に乗車することが義務付けられています。というのも、この30分の間にウクライナの出国手続きを済ませてしまうからなのです。だから国境兵備員がホームに多数いて、空気がピリピリしています。下の写真を撮ったら、早くいけ!とまじで怒られました。



 ところで僕の方もモスクワに帰還命令が出たのですが、お前は自由に来いとのお言葉をいただきましたので、ハルキウに一日長く滞在し、その後、北上することにしました。今晩は一人宴会。ハルキウなのにザカルパツィキ。

2017年3月25日土曜日

ベラルーシからウクライナへ(ミンスクからハルキウへ飛行機で移動)

 前回の続きになります。鉄道で国境を越えようとして失敗した支店長とその子分は、ミンスクМінскに帰還後にまず食事をし、次いで鉄道で飛行場に向かうことに決めました。支店長はハルキウХарківは初めてで土地勘がないとのこと。珍しく子分の僕がお役に立てそうです。



 ミンスク駅そばのショッピングモールで食事をした後、駅に向かいます。ありました、空港行きです。



 ヴィリニュスやハラデヤГарадея行きとは逆の方向のミニホームに停まっていた空港行き列車。二両しかないですよ。



 途中、スモレヴィチСмолевичまで行ってからスイッチバックで空港に入ります。



 大体こんな感じで進みました。



 空港につくと、少しだけバスに乗ります(無料)。この日は真っ暗な中を待っていてくれました。乗客は我ら二人とおっちゃんだけ。



 ガラガラです。


 
 搭乗手続き後、出国検査も無事にクリア。僕の担当の係官は、指を折りながら3度も滞在日数を数え直していました。ともあれ、これで違法状態になるのを免れました。待合室では少々時間がありました。その後、飛行場全体の最終便であるハルキウ行きの出発となりました。飛行機までバスで移動です。



 ベラヴィアの小さな飛行機。こちらではサンドイッチが出ました。1時間弱のフライトなのですがねえ。



 こうしてハルキウに到着。やはりバスで移動です。



 入国審査は、僕は特段問題なくスルーしましたが、支店長はやや怪しまれたのか、少々時間がかかっていました。
 その後、もう夜中の12時近くだったので、「タクシー」と呼びかけるオヤジにむしろこちらから近づいて値段を聞き、2ヶ月前に利用した宿に向かいました。到着すると、けしからん事に宿の門が閉められ、鍵もかかっており、呼び鈴を鳴らしても誰も出ず。するとタクシーのオヤジが我々を見捨てずに助けてくれました。宿に電話をかけてくれて、その結果、守衛がホテルから出てきまして、我ら、とりあえずチェックインできました。
 明日以降のことは明日考えます。ともかく今日はつかれたので寝ます。支店長はまだ仕事があるようでしたが。

2017年3月24日金曜日

ベラルーシからリトアニアへ(ミンスクからヴィリニュスへ。失敗編)

 ベラルーシБелорусьでのビザなし滞在5日目になりました。そこでもうこの国から出国せねばなりません。そこで前日にミンスクМінск駅でヴィリニュスVilnius行きのチケットを購入し、当日、10時台の列車でヴィリニュス国境に向かいました。
 ミンスクとヴィリニュスは近いので、昼間の列車でも楽々、のはずでした。



 乗車前にミンスクの郵便局から仕事関係の書類を送ります。「飛行機でも日本まで一ヶ月かかるわよ!」という窓口のお姉さんの言葉は本当でしょうか。



 それはともかく、ミンスク駅の分かりづらいところにリトアニア行きのホームがあります。トヴェリТверьやカルーガКалугаで体験したものと一緒です。駅舎に隠れているんですねえ。



 どうも、車両はリトアニアのものですね。ベラルーシ語ではない言葉でいろんなことが書かれています。



 ヨーロッパの香りがかすかにする車内のアコモデーション。席は回転はしません。こういうのに乗っていると、日本で見る回転式のリクライニングシートって、優れものだなあと思います。



 途中駅。



 雪解け水が溜まっている景色の何と多いことか。



 スマルゴニ駅。



 こうして、何も考えずにやって来た運命の駅フドガイ(グドガイ)。出国の審査官が乗り込んできました。



 例の如く、パスポートを見せると「ベラルーシのビザがない。出国は不可能。荷物をまとめて列車を降りろ」との指示。すかさず支店長が日本人は2月からビザなしで移動可能になった旨を伝えるものの、出国はミンスク空港に限られると向こうは繰り返すのみ。外務省のページに出国条件は書かれていなかった、と僕も反論するも無駄。予想に反して支店長が審査官にすぐに白旗を揚げたので、子分もそのまま荷物をまとめて親分についていきました。駅には国境審査官の事務所があり、同じ状況で下車させられたノルウェー人との3人で事務所の一隅の部屋に「軟禁」されました(見張り付き)。写真は見張りに見つからぬよう内部から撮影。 



 そして、我々はミンスクまで列車で戻らねばならぬこと、しかし列車は夕方までないこと、また今日中にミンスク空港から出国せねばならないことが改めて説明されました(ノルウェー人はまだ滞在可能だったので急ぐ必要はなかった)。そして出国できない場合には不法滞在となるとのことでした(とは言え、出国ビザを申請すれば一応それで済むような感じでした)。
 この時、僕は強制送還のようなイメージを持っていたのですが、ちょっと違っていました。駅のオフィスまで連行されると、まずは鉄道チケットについて、ヴィリニュスに行かなかった分について払い戻しを受けました。



 その後改めて、ミンスクまでのチケットを購入させられました。尚、Visaカード利用可でした。
 ところでここで改めて敬服したのですが、支店長はミンスク空港発の飛行機の検索・予約を始めていました。この軟禁部屋からは通常のパソコンのネットは接続できず、また携帯電話経由であってもベラルーシのSIMカードでないと接続ができなかったのですが、さすがは支店長でして、ベラルーシのカードを持っていて、早速次の準備を始めていたのです。
 このまま夕方の列車でミンスクに戻り、更にそこから空港まで移動すると、搭乗可能な便はかなり限られることが判明しました。ロシア行きの便は国内線扱いになり、スタンプが押されないという事情があって選択できず。結局、ハルキウ、アスタナ、トビリシ、テヘランから選ばざるを得なくなったわけです。読者の皆さんならどれを選んだでしょうかねえ。結局、ビザなしでいける前三者の中で、比較的ロシアに近いハルキウを選ばざるを得ませんでした。ああ、またあの町に戻るのか。
 ともかく、16時過ぎにヴィリニュスからミンスクに行く電車が到着し、審査官に連れられて列車に乗車しました。女性の審査官が二人ほど、この列車で帰宅するらしく、途中まで近くに座っていました。さらばフドガイ。



 行きに通ったスモルゴニ。また君と対面するとはオモワなんだ。



 マラジェチナ(モロジェチナ)よ、君とも再会だ。



 こうしてミンスク駅に出戻りとなった我々は、飛行場に向かうことになりました。ハルキウ行きは飛行場の最終便なので、少々時間に余裕があるとはいえ、かなり不安な状況に置かれました。支店長は「自分一人だったら不安だったろうなあ」とおっしゃっていましたが、逆ですよ。支店長がいなかったら、僕は絶対にこの日のうちに出国できなかったろうなあ。



 そのようなわけで、ビザなしの場合、陸路での出国はダメなようです。後で日本のベラルーシ大使館のページを見たところ、確かに「出国も」ミンスク空港経由でないとダメと書かれていました。が、最初の最初の段階では「入国はミンスク空港経由」とのみ条件付けられていたのですがねえ。皆さんご注意下さいね。

アルメニア編その2 エレバン探訪(part2)

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