今日は仕事を終えるのが遅くなり、日暮れ間際にようやくクルチツキー主教座(現在の正式名称はクルチツキーの総主教座別院?Крутицкое Патриаршее подворье)に行くことが出来ました。春先から行こうと思っていたのになかなか機会に恵まれませんでしたが、ようやく訪問できました。
地下鉄のプロレタルスカヤから歩いて10分程度でしょうか。モスクワ川の脇に位置しています。幹線道路を挟んで北側にはノヴォスパスキー修道院Новоспасский монастырьがあります。
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元々、ロシアがモンゴルの支配下にあった14世紀に、キプチャク・ハン国の都であったサライに正教会の主教座が設置されました。当時はサライとドン川の主教座と呼ばれていました。ところがハン国が弱体化してくると、サライに主教座をおく必要がなくなりました。その際に、理由は分かりませんが、主教座は廃止されるのではなく、モスクワに移転するという形を取ったそうです(1454年)。モスクワには当時、府主教がいたので、サライの主教の方は名誉職のような感じだったのかもしれません。そしてこの移転の時に、名前が「クルチツキー」に変わったようです。
地図がありましたので、先に載せておきます。
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東から入って最初に見えるのが主聖堂のウスペンスキー聖堂。漆喰を塗っていないのが特徴です。中は4段のイコノスタスが添え付けられています。
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一応、低い壁で全域が囲われています。塔は小ぶりですが、形はなかなか良いものです。
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裏側には鐘撞き堂が主聖堂と癒着する形でそびえ立っています。そこから更に煉瓦の通路で主教館に繋がっています。
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鐘撞き堂の銘版。17世紀末のものですね。
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煉瓦造りの渡り通路。
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裏手の主教館。執務はこちらで取られていたのでしょう。
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裏手から聖堂の方を振り返る。
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館は17世紀半ばのもの。主教ではなく府主教になっていますね。当初の主教座からある時点で府主教座に昇格したことがわかります。
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二枚上の写真のアーチの上に描かれたキリスト。
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門の方は17世紀末。あとから聖堂と館が繋げられたということですか。
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主教館の奥にある復活Словущий(訳せない...。言葉を与える者の復活の聖堂?)教会堂。実はここだけはもともと15世紀に構築されたものだそうです。
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最後に南から。さらばクルチツキー主教座よ。
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地下鉄のプロレタルスカヤから歩いて10分程度でしょうか。モスクワ川の脇に位置しています。幹線道路を挟んで北側にはノヴォスパスキー修道院Новоспасский монастырьがあります。
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元々、ロシアがモンゴルの支配下にあった14世紀に、キプチャク・ハン国の都であったサライに正教会の主教座が設置されました。当時はサライとドン川の主教座と呼ばれていました。ところがハン国が弱体化してくると、サライに主教座をおく必要がなくなりました。その際に、理由は分かりませんが、主教座は廃止されるのではなく、モスクワに移転するという形を取ったそうです(1454年)。モスクワには当時、府主教がいたので、サライの主教の方は名誉職のような感じだったのかもしれません。そしてこの移転の時に、名前が「クルチツキー」に変わったようです。
地図がありましたので、先に載せておきます。
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東から入って最初に見えるのが主聖堂のウスペンスキー聖堂。漆喰を塗っていないのが特徴です。中は4段のイコノスタスが添え付けられています。
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一応、低い壁で全域が囲われています。塔は小ぶりですが、形はなかなか良いものです。
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裏側には鐘撞き堂が主聖堂と癒着する形でそびえ立っています。そこから更に煉瓦の通路で主教館に繋がっています。
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鐘撞き堂の銘版。17世紀末のものですね。
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煉瓦造りの渡り通路。
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裏手の主教館。執務はこちらで取られていたのでしょう。
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裏手から聖堂の方を振り返る。
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館は17世紀半ばのもの。主教ではなく府主教になっていますね。当初の主教座からある時点で府主教座に昇格したことがわかります。
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二枚上の写真のアーチの上に描かれたキリスト。
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門の方は17世紀末。あとから聖堂と館が繋げられたということですか。
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主教館の奥にある復活Словущий(訳せない...。言葉を与える者の復活の聖堂?)教会堂。実はここだけはもともと15世紀に構築されたものだそうです。
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最後に南から。さらばクルチツキー主教座よ。
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