春先に訪問したもので申し訳ないのですが、チェルニヒウЧернігівのエレツィキー修道院Єлецький монастир(エレツキー修道院Елецкий монастырь)を紹介します。場所は鉄道駅と市内中心を結ぶ線よりはやや南に位置しており、中心地から徒歩で歩きました。
南側から見ると小高い丘の上に位置しています。坂を登っていきました。
案内図で見る全容。創建はキエフ大公スヴャトスラフ・ヤロスラヴィチとも、その子のチェルニゴフ(当時)公オレグ・スヴャトスラヴィチとも言われています。また年代記によると、ルーシの修道制の祖アントニーも一時ここに滞在したとのこと。
5月の丁度美しい季節。17世紀の鐘撞き堂。
中心にそびえるウスペンシキー聖堂Успенський собор。キエフのペチェルスキー修道院のウスペンスキー聖堂を模したもの。12世紀創建でその後17世紀まで手が入れられました。クーポルあたりは後のものですね。しかしかなりの部分は元々のものとのこと(モンゴルにより破壊されたものの)。これはアプシダ側から撮影。
西側から撮影。見栄えします。
北から見たところ。ところどころ、漆喰の下の焼き煉瓦が見えています。
ウスペンシキー聖堂の裏手にある16−17世紀の僧房。
春の修道院はいいですねえ。
南側から見ると小高い丘の上に位置しています。坂を登っていきました。
案内図で見る全容。創建はキエフ大公スヴャトスラフ・ヤロスラヴィチとも、その子のチェルニゴフ(当時)公オレグ・スヴャトスラヴィチとも言われています。また年代記によると、ルーシの修道制の祖アントニーも一時ここに滞在したとのこと。
5月の丁度美しい季節。17世紀の鐘撞き堂。
中心にそびえるウスペンシキー聖堂Успенський собор。キエフのペチェルスキー修道院のウスペンスキー聖堂を模したもの。12世紀創建でその後17世紀まで手が入れられました。クーポルあたりは後のものですね。しかしかなりの部分は元々のものとのこと(モンゴルにより破壊されたものの)。これはアプシダ側から撮影。
西側から撮影。見栄えします。
北から見たところ。ところどころ、漆喰の下の焼き煉瓦が見えています。
ウスペンシキー聖堂の裏手にある16−17世紀の僧房。
春の修道院はいいですねえ。
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