日が短い中、会社帰りに思い切ってニコロ・ウグレシスキー修道院Николо-Угрешский монастырь(ジェルジンスキー)を訪問しました。ここは1380年にドミトリー・ドンスコイДмитрий Донскойが創建した男子修道院です。ジェルジンスキー市というのはモスクワの南にある市で、地下鉄の最南端の駅からバスで行くことが出来ます。

正確にはこのあたり(〇印)で、今回はメトロ緑線のアルマ・アティンスカヤАлма Атынскаяからバスに乗りました。

地下鉄を降りたら南の小さなバス停(〇印)に向かってください。多くのバスが止まっている方(×印)ではありません。

こちらです。

マルシルートカ1063番の看板があります。これに乗るわけです。

本数は頻繁にあります。因みにモスゴルトランスの管区外に出るので、地下鉄などのカードは使えません。中にいるコンダクトルのおばちゃんから切符を買います。修道院は終点になりますが、59Rでした。

少々遠回りをしながらも、最後には修道院の前に到着です。丁度夕焼けの時間でした。

門と鐘楼など。

壁も立派です。

中でも目立つ鐘楼。その背後には主聖堂のスパソ・プレオブラジェンスキーがそびえる。

池は完全に凍結しています。

「あらゆる悲しむ人々の喜び」の聖母イコン教会。変な訳しかできぬ。

スパソ・プレオブラジェンスキー聖堂と、その右手前にあるニコリスキー聖堂。後者はこの修道院内で現存する最古の建造物(16世紀)とのことですが、戦争中にかなり破壊されたようです。プレオブラジェンスキーは中に入ることが出来ます。かなり見応えのある大きなイコノスタス(5段)があります。

奥にあるのがカザンの聖母イコン教会

隅には聖ピーメン・ウグレシスキー教会。

早くも日暮れ。さらば。

帰りはリュブリノ駅行きのバスに乗車。こちらもコンダクトルから切符を購入。57Rでした。

リュブリノまで来たので、また「モスクワ」に寄ってきました。その後帰宅です。

*この修道院の10年前の姿についてはこちらが詳しい。

正確にはこのあたり(〇印)で、今回はメトロ緑線のアルマ・アティンスカヤАлма Атынскаяからバスに乗りました。

地下鉄を降りたら南の小さなバス停(〇印)に向かってください。多くのバスが止まっている方(×印)ではありません。

こちらです。

マルシルートカ1063番の看板があります。これに乗るわけです。

本数は頻繁にあります。因みにモスゴルトランスの管区外に出るので、地下鉄などのカードは使えません。中にいるコンダクトルのおばちゃんから切符を買います。修道院は終点になりますが、59Rでした。

少々遠回りをしながらも、最後には修道院の前に到着です。丁度夕焼けの時間でした。

門と鐘楼など。

壁も立派です。

中でも目立つ鐘楼。その背後には主聖堂のスパソ・プレオブラジェンスキーがそびえる。

池は完全に凍結しています。

「あらゆる悲しむ人々の喜び」の聖母イコン教会。変な訳しかできぬ。

スパソ・プレオブラジェンスキー聖堂と、その右手前にあるニコリスキー聖堂。後者はこの修道院内で現存する最古の建造物(16世紀)とのことですが、戦争中にかなり破壊されたようです。プレオブラジェンスキーは中に入ることが出来ます。かなり見応えのある大きなイコノスタス(5段)があります。

奥にあるのがカザンの聖母イコン教会

隅には聖ピーメン・ウグレシスキー教会。

早くも日暮れ。さらば。

帰りはリュブリノ駅行きのバスに乗車。こちらもコンダクトルから切符を購入。57Rでした。

リュブリノまで来たので、また「モスクワ」に寄ってきました。その後帰宅です。

*この修道院の10年前の姿についてはこちらが詳しい。
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