細密画の町シリーズも残り1か所となりました。ラストワンはフェドスキノФедоскино/ Fedoskinoです!
これまで訪問したパレフПалех、ムスチョラМстёра、ホルイХолуйよりも、ここがモスクワからは一番近くアクセスしやすい。フェドスキノには現役の工房があり、職人による製作を見学できます。作業場を公開している工房はここだけなので、楽しみです。
フェドスキノの細密画の由来は1795年、モスクワの商人のコロボフがフェドスキノの隣村のダニルコヴォに塗り物製品の工場を操業したことです。そこではパルプを原料にしてニスで塗装したさまざまな製品、たばこ入れや帽子のつばなどが作られていました。その後、経営がその娘婿のルクチンに引き継がれると、彼の下で工房は大きく育ちます。芸術的なセンスを持つ彼は画家を育成する学校を開きました。ほかの工房と差をつけるため、描くストーリーの種類を増やし、螺鈿や金属の透かし細工など新しい種類の装飾を箱に施し、自ら版画作品を購入してそれを模倣して描いたりするなど、作品を精力的に発展させました。19世紀から20世紀初頭には国外でも知られるようになります。1904年にルクチンの子孫で最後の工房経営者が亡くなると、工房は閉鎖されました。しかし1910年に職人たちが集まり、工房は再び操業を開始しました(とのこと)。
フェドスキノの細密画の由来は1795年、モスクワの商人のコロボフがフェドスキノの隣村のダニルコヴォに塗り物製品の工場を操業したことです。そこではパルプを原料にしてニスで塗装したさまざまな製品、たばこ入れや帽子のつばなどが作られていました。その後、経営がその娘婿のルクチンに引き継がれると、彼の下で工房は大きく育ちます。芸術的なセンスを持つ彼は画家を育成する学校を開きました。ほかの工房と差をつけるため、描くストーリーの種類を増やし、螺鈿や金属の透かし細工など新しい種類の装飾を箱に施し、自ら版画作品を購入してそれを模倣して描いたりするなど、作品を精力的に発展させました。19世紀から20世紀初頭には国外でも知られるようになります。1904年にルクチンの子孫で最後の工房経営者が亡くなると、工房は閉鎖されました。しかし1910年に職人たちが集まり、工房は再び操業を開始しました(とのこと)。
一番簡単なアクセス方法は、地下鉄のグレー線の北の終点、アルトゥフィエヴォАлтуфьево Altuf'evo駅から271番バス。直通で現地まで行けます。
バスの時刻表はこちらです。おおよそ1時間に1本です。
ほかにも近郊列車ロブニャЛобня Lobnya駅とフェドスキノ間にバスがあります。ダニルコヴォДанилково Danilkovo行きに乗って途中下車します。
さて、それから工房見学を手配します。公式HPはこちら。https://fabrica-fedoskino.ru/
左から、5人以下のグループ(1団体当たり)、5人以上のグループ、絵付け体験のマスタークラス(箱1個当たり)の料金です。
左から、5人以下のグループ(1団体当たり)、5人以上のグループ、絵付け体験のマスタークラス(箱1個当たり)の料金です。
電話すると、日曜日の12:00に団体ツアーがあるので、そこに加わるよう案内が。一人で行くので、1500R支払うことを覚悟していましたが、400Rになりました。
さて、当日。地下鉄アルトゥフィエヴォの5番出口から地上に出ます。
実際に5番出口から地上に出ると、地図上の位置ではなくもっと近く、すぐ目の前に271番バスがすでに停車していて、もうすぐ出発しそうな勢い。急いで乗りこみました。そんなわけで、乗車場所の写真がなくてすみません。100Rで、運転手が車内の一人一人のところを巡回して回収しました。
郊外に向かって渋滞もなく、すいすいと進みます。30分足らずであっという間に到着。
ここからは道なりにまっすぐ進みます。
バス停の向かいは奇蹟者聖ニコライ聖堂Церковь Николая Чудотворцаがあります。立ち寄ってみたところ、赤ん坊の洗礼式の進行中だったので、そそくさと退散しました。
ぬかるんだ非舗装路をひたすら道なりに直進します。
ほどなく、右手にこんな建物が見えてきました。電光掲示板によると、ここが工房です。年季が入っています。
左手はこの建物。こちらは美術工芸博物館Музей Народных Художественных Промысловです。
右手の奥に売店があり、そこのレジで見学料を支払います。12:00スタートまでこの売店で商品を見ながら待ちます。
時間になると、ガイド氏がやってきて見学開始です!(続く)
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