ベラルーシБелорусьでのビザなし滞在5日目になりました。そこでもうこの国から出国せねばなりません。そこで前日にミンスクМінск駅でヴィリニュスVilnius行きのチケットを購入し、当日、10時台の列車でヴィリニュス国境に向かいました。
ミンスクとヴィリニュスは近いので、昼間の列車でも楽々、のはずでした。
乗車前にミンスクの郵便局から仕事関係の書類を送ります。「飛行機でも日本まで一ヶ月かかるわよ!」という窓口のお姉さんの言葉は本当でしょうか。
それはともかく、ミンスク駅の分かりづらいところにリトアニア行きのホームがあります。トヴェリТверьやカルーガКалугаで体験したものと一緒です。駅舎に隠れているんですねえ。
どうも、車両はリトアニアのものですね。ベラルーシ語ではない言葉でいろんなことが書かれています。
ヨーロッパの香りがかすかにする車内のアコモデーション。席は回転はしません。こういうのに乗っていると、日本で見る回転式のリクライニングシートって、優れものだなあと思います。
途中駅。
雪解け水が溜まっている景色の何と多いことか。
スマルゴニ駅。
こうして、何も考えずにやって来た運命の駅フドガイ(グドガイ)。出国の審査官が乗り込んできました。
例の如く、パスポートを見せると「ベラルーシのビザがない。出国は不可能。荷物をまとめて列車を降りろ」との指示。すかさず支店長が日本人は2月からビザなしで移動可能になった旨を伝えるものの、出国はミンスク空港に限られると向こうは繰り返すのみ。外務省のページに出国条件は書かれていなかった、と僕も反論するも無駄。予想に反して支店長が審査官にすぐに白旗を揚げたので、子分もそのまま荷物をまとめて親分についていきました。駅には国境審査官の事務所があり、同じ状況で下車させられたノルウェー人との3人で事務所の一隅の部屋に「軟禁」されました(見張り付き)。写真は見張りに見つからぬよう内部から撮影。
そして、我々はミンスクまで列車で戻らねばならぬこと、しかし列車は夕方までないこと、また今日中にミンスク空港から出国せねばならないことが改めて説明されました(ノルウェー人はまだ滞在可能だったので急ぐ必要はなかった)。そして出国できない場合には不法滞在となるとのことでした(とは言え、出国ビザを申請すれば一応それで済むような感じでした)。
この時、僕は強制送還のようなイメージを持っていたのですが、ちょっと違っていました。駅のオフィスまで連行されると、まずは鉄道チケットについて、ヴィリニュスに行かなかった分について払い戻しを受けました。
その後改めて、ミンスクまでのチケットを購入させられました。尚、Visaカード利用可でした。
ところでここで改めて敬服したのですが、支店長はミンスク空港発の飛行機の検索・予約を始めていました。この軟禁部屋からは通常のパソコンのネットは接続できず、また携帯電話経由であってもベラルーシのSIMカードでないと接続ができなかったのですが、さすがは支店長でして、ベラルーシのカードを持っていて、早速次の準備を始めていたのです。
このまま夕方の列車でミンスクに戻り、更にそこから空港まで移動すると、搭乗可能な便はかなり限られることが判明しました。ロシア行きの便は国内線扱いになり、スタンプが押されないという事情があって選択できず。結局、ハルキウ、アスタナ、トビリシ、テヘランから選ばざるを得なくなったわけです。読者の皆さんならどれを選んだでしょうかねえ。結局、ビザなしでいける前三者の中で、比較的ロシアに近いハルキウを選ばざるを得ませんでした。ああ、またあの町に戻るのか。
ともかく、16時過ぎにヴィリニュスからミンスクに行く電車が到着し、審査官に連れられて列車に乗車しました。女性の審査官が二人ほど、この列車で帰宅するらしく、途中まで近くに座っていました。さらばフドガイ。
行きに通ったスモルゴニ。また君と対面するとはオモワなんだ。
マラジェチナ(モロジェチナ)よ、君とも再会だ。
こうしてミンスク駅に出戻りとなった我々は、飛行場に向かうことになりました。ハルキウ行きは飛行場の最終便なので、少々時間に余裕があるとはいえ、かなり不安な状況に置かれました。支店長は「自分一人だったら不安だったろうなあ」とおっしゃっていましたが、逆ですよ。支店長がいなかったら、僕は絶対にこの日のうちに出国できなかったろうなあ。
そのようなわけで、ビザなしの場合、陸路での出国はダメなようです。後で日本のベラルーシ大使館のページを見たところ、確かに「出国も」ミンスク空港経由でないとダメと書かれていました。が、最初の最初の段階では「入国はミンスク空港経由」とのみ条件付けられていたのですがねえ。皆さんご注意下さいね。
ミンスクとヴィリニュスは近いので、昼間の列車でも楽々、のはずでした。
乗車前にミンスクの郵便局から仕事関係の書類を送ります。「飛行機でも日本まで一ヶ月かかるわよ!」という窓口のお姉さんの言葉は本当でしょうか。
それはともかく、ミンスク駅の分かりづらいところにリトアニア行きのホームがあります。トヴェリТверьやカルーガКалугаで体験したものと一緒です。駅舎に隠れているんですねえ。
どうも、車両はリトアニアのものですね。ベラルーシ語ではない言葉でいろんなことが書かれています。
ヨーロッパの香りがかすかにする車内のアコモデーション。席は回転はしません。こういうのに乗っていると、日本で見る回転式のリクライニングシートって、優れものだなあと思います。
途中駅。
雪解け水が溜まっている景色の何と多いことか。
スマルゴニ駅。
こうして、何も考えずにやって来た運命の駅フドガイ(グドガイ)。出国の審査官が乗り込んできました。
例の如く、パスポートを見せると「ベラルーシのビザがない。出国は不可能。荷物をまとめて列車を降りろ」との指示。すかさず支店長が日本人は2月からビザなしで移動可能になった旨を伝えるものの、出国はミンスク空港に限られると向こうは繰り返すのみ。外務省のページに出国条件は書かれていなかった、と僕も反論するも無駄。予想に反して支店長が審査官にすぐに白旗を揚げたので、子分もそのまま荷物をまとめて親分についていきました。駅には国境審査官の事務所があり、同じ状況で下車させられたノルウェー人との3人で事務所の一隅の部屋に「軟禁」されました(見張り付き)。写真は見張りに見つからぬよう内部から撮影。
そして、我々はミンスクまで列車で戻らねばならぬこと、しかし列車は夕方までないこと、また今日中にミンスク空港から出国せねばならないことが改めて説明されました(ノルウェー人はまだ滞在可能だったので急ぐ必要はなかった)。そして出国できない場合には不法滞在となるとのことでした(とは言え、出国ビザを申請すれば一応それで済むような感じでした)。
この時、僕は強制送還のようなイメージを持っていたのですが、ちょっと違っていました。駅のオフィスまで連行されると、まずは鉄道チケットについて、ヴィリニュスに行かなかった分について払い戻しを受けました。
その後改めて、ミンスクまでのチケットを購入させられました。尚、Visaカード利用可でした。
ところでここで改めて敬服したのですが、支店長はミンスク空港発の飛行機の検索・予約を始めていました。この軟禁部屋からは通常のパソコンのネットは接続できず、また携帯電話経由であってもベラルーシのSIMカードでないと接続ができなかったのですが、さすがは支店長でして、ベラルーシのカードを持っていて、早速次の準備を始めていたのです。
このまま夕方の列車でミンスクに戻り、更にそこから空港まで移動すると、搭乗可能な便はかなり限られることが判明しました。ロシア行きの便は国内線扱いになり、スタンプが押されないという事情があって選択できず。結局、ハルキウ、アスタナ、トビリシ、テヘランから選ばざるを得なくなったわけです。読者の皆さんならどれを選んだでしょうかねえ。結局、ビザなしでいける前三者の中で、比較的ロシアに近いハルキウを選ばざるを得ませんでした。ああ、またあの町に戻るのか。
ともかく、16時過ぎにヴィリニュスからミンスクに行く電車が到着し、審査官に連れられて列車に乗車しました。女性の審査官が二人ほど、この列車で帰宅するらしく、途中まで近くに座っていました。さらばフドガイ。
行きに通ったスモルゴニ。また君と対面するとはオモワなんだ。
マラジェチナ(モロジェチナ)よ、君とも再会だ。
こうしてミンスク駅に出戻りとなった我々は、飛行場に向かうことになりました。ハルキウ行きは飛行場の最終便なので、少々時間に余裕があるとはいえ、かなり不安な状況に置かれました。支店長は「自分一人だったら不安だったろうなあ」とおっしゃっていましたが、逆ですよ。支店長がいなかったら、僕は絶対にこの日のうちに出国できなかったろうなあ。
そのようなわけで、ビザなしの場合、陸路での出国はダメなようです。後で日本のベラルーシ大使館のページを見たところ、確かに「出国も」ミンスク空港経由でないとダメと書かれていました。が、最初の最初の段階では「入国はミンスク空港経由」とのみ条件付けられていたのですがねえ。皆さんご注意下さいね。
2019年の夏、モスクワからミンスクに入り、鉄道でビルニュスに行くつもりで、情報を探しておりました。
返信削除つまりロシア(旅行の最後にタリンからサンクトペテルブルグに行きます)もベラルーシも両方ともビザがいるということですね。非常に参考になりました。ありがとうございます。gentle ben