キエフКиївに戻ってきました。が、それまでになかなか苦労しました。前日、相方のパスポートを持っていった修道女のカシアナが、7時に返却にくると約束していたにもかかわらず、やって来ず。そのせいで、7時10分のバスを逃しました。結局食堂で朝飯を作っていた別の修道女に相談し、カシアナを起こしてもらいました。
7時前の真っ暗な修道院。
バスは8時半まで来ないとのこと。しかし我々には時間がないということで町まで歩くことにしました。途中でヒッチハイクでもしようと話していたのですが、車は40分ほど歩いて一台しか来ず。写真は途中の教会堂。
修道院の所領がずっと続きます。
3キロほど歩いたところでペンションを発見。こちらでタクシーを呼んでもらうことができました。町まで35レイ。こうしてトルグ・ニャムツィTrg. Neamtiまで戻ることが出来ました。
そして到着するとすぐにスチャヴァSuceava行きのバスが待っており、何も考えずに飛び乗りました(08:30発)。運転手に乗車時に運賃を支払います。
スチャヴァのバスターミナルに着く(09:45)と、無料Wifi を利用して次の計画を立てます。が、ここで、チェルニウツィЧернівціからキエフ行きの列車が満席になっていることを知り、愕然とします。
ただ、結局、ウクライナ国鉄のページを見ていると、キャンセルが一瞬入り、一等寝台に空席が一つできました。僕は仕事があるので申し訳ないがこれで帰るといって、一等寝台を予約。なかなか高いです。1020Gくらいでした。相方はチェルニウツィでバスを探すとのこと。
さて、スチャヴァのターミナルでは時刻表をゲットしましたので一応載せておきます。
また、ブカレストBucuresti行きの料金表も張ってありました。
日曜日だったので、昨日閉まっていたターミナル脇のアルメニア・カトリック教会に立ち寄ると、まさに開いていました。中は質素で、人のおばあちゃんが一人で管理していました。
さて、ここまで来れば、チェルニウツィ行きのバスが出る13:00まで3時間ほどの時間があります。市内の教会は回ったので、ここで相方に無理を言って、タクシーでやや近郊のドラゴミルナ修道院Mănăstirea Dragomirnaに行こうと提案(往復で60レイ)。ここはパイーシー・ヴェリチコフスキー長老がアトスから戻り最初に入った修道院です。
ここもしっかりした城壁で囲まれています。
中央に聳える教会堂。外部にフレスコはないですが、煉瓦がいい感じに模様を作っています。
やはりここにもありました。礼拝の開始を告げたりするための「鐘」です。
地の果てまで続く、修道院の果樹園。
そうそう、タクシーのおっちゃんが貴重な情報を教えてくれたのです。今日はチェルニウツィ行きバスは一時間早く12:00に出発とのこと。結局この情報は本当でした。ある意味恐ろしい体験をしました。
スチャヴァに戻り、30分ほど時間があったので、市場を探検。何故かあまりめぼしいものはありませんでした。
閉まっている店が多かった。
近くにあったシナゴーグ。現役かどうかは不明。
昼飯用にゴゴシをゲット。
こうして12時にバスは出発し(運賃は運転手に直接支払い。チェルニウツィまでで30レイ)、一時間ほどでルーマニア・ウクライナ国境に到着。行きと同じくスルーに近かった。質問も下車もなく、パスポートが回収され、少しして戻ってきました。
こちらはウクライナ側。ほぼ同じでした。両方の検査で45分程度。まあ早い方でしょうか。
ウクライナに戻っても、まだルーマニア式の屋根の家が続きます。
こちらも。
チェルニウツィのバスターミナルに到着です。相方のバスチケットを買った後、世界遺産のチェルニウツィ大学を見に行きます(タクシー)。相方が値切ってくれました。
その前に、お約束のチェルニウツィのバスターミナルの国際線時刻表。スチャヴァ、ブカレスト(ルーマニア)、キシナウ(モルドヴァ)、プラハ、プルゼニ(チェコ)、セビリア(スペイン)、ミラノ、パレルモ(イタリア)、リガ(ラトヴィア)、モスクワ(ロシア)、ワルシャワ、シチェチン、コロブジェク、ポズナニ、ヴロツワフ、ゼレナ・ゴラ、クラクフ、ビドゴシ(ポーランド)に出ています。
こうしてやってきました。現在は大学ですが、かつてのブコヴィナの府主教座です。しかし、「学生じゃないヤツは金を払え」と門番に言われて、二人で30フリヴナを支払う羽目に。まあ、それくらいなら払ってでもみる価値がこちらの建物にはあります。
かなりデカいです。
もう一枚。
独特の模様ですね。
さて、食事をして汽車の時間が近づいたとのことで、チェルニウツィの駅にバス(2G)で向かいます。相方と別れの握手をした後、汽車に乗り込みます。なお、初めて紙のチケットを印刷せずにパソコンで提示したのですが、車掌のスキャナーで読み取れず、結局手書きで車掌がいろいろ控えるハメに。すみませんでした。しかし乗ってみて流石一等寝台でした。ロシアでいうフィルメンヌィ車両でした。そして出発です(17:22)。しかし、この時点ではあることに気がつきませんでした。
最初の駅はカムヤネツ・ポジリシキーかと思っていたら、何とコロミヤКоломия(18:15頃)。キエフから離れて行っています。
すぐに向きを変えるだろうと思っていたら、そのままイヴァノ・フランキウシクІвано-Франківськへ(19:10頃)。因みにこの駅は活気にあふれていました。
このあたりで確信しました。この列車、行きと異なり、キエフに直接向かわず、リヴィウЛьвівを経由する大回り便だったのです。これでやたら高かった理由も判明。
そして予想通り、いつか見た町リヴィウに到着(21:25頃)。因みにここまでは非電化単線の線路でしたが、ここからは電化複線。高速の電気機関車に付け替えです。
こうして朝4時台にキエフに到着。二日後にはまたリヴィウに行くことを思うと、何かもったいない気もしました。因みに相方もバスで無事到着しました。
7時前の真っ暗な修道院。
バスは8時半まで来ないとのこと。しかし我々には時間がないということで町まで歩くことにしました。途中でヒッチハイクでもしようと話していたのですが、車は40分ほど歩いて一台しか来ず。写真は途中の教会堂。
修道院の所領がずっと続きます。
3キロほど歩いたところでペンションを発見。こちらでタクシーを呼んでもらうことができました。町まで35レイ。こうしてトルグ・ニャムツィTrg. Neamtiまで戻ることが出来ました。
そして到着するとすぐにスチャヴァSuceava行きのバスが待っており、何も考えずに飛び乗りました(08:30発)。運転手に乗車時に運賃を支払います。
スチャヴァのバスターミナルに着く(09:45)と、無料Wifi を利用して次の計画を立てます。が、ここで、チェルニウツィЧернівціからキエフ行きの列車が満席になっていることを知り、愕然とします。
ただ、結局、ウクライナ国鉄のページを見ていると、キャンセルが一瞬入り、一等寝台に空席が一つできました。僕は仕事があるので申し訳ないがこれで帰るといって、一等寝台を予約。なかなか高いです。1020Gくらいでした。相方はチェルニウツィでバスを探すとのこと。
さて、スチャヴァのターミナルでは時刻表をゲットしましたので一応載せておきます。
また、ブカレストBucuresti行きの料金表も張ってありました。
日曜日だったので、昨日閉まっていたターミナル脇のアルメニア・カトリック教会に立ち寄ると、まさに開いていました。中は質素で、人のおばあちゃんが一人で管理していました。
さて、ここまで来れば、チェルニウツィ行きのバスが出る13:00まで3時間ほどの時間があります。市内の教会は回ったので、ここで相方に無理を言って、タクシーでやや近郊のドラゴミルナ修道院Mănăstirea Dragomirnaに行こうと提案(往復で60レイ)。ここはパイーシー・ヴェリチコフスキー長老がアトスから戻り最初に入った修道院です。
ここもしっかりした城壁で囲まれています。
中央に聳える教会堂。外部にフレスコはないですが、煉瓦がいい感じに模様を作っています。
やはりここにもありました。礼拝の開始を告げたりするための「鐘」です。
地の果てまで続く、修道院の果樹園。
そうそう、タクシーのおっちゃんが貴重な情報を教えてくれたのです。今日はチェルニウツィ行きバスは一時間早く12:00に出発とのこと。結局この情報は本当でした。ある意味恐ろしい体験をしました。
スチャヴァに戻り、30分ほど時間があったので、市場を探検。何故かあまりめぼしいものはありませんでした。
閉まっている店が多かった。
近くにあったシナゴーグ。現役かどうかは不明。
昼飯用にゴゴシをゲット。
こうして12時にバスは出発し(運賃は運転手に直接支払い。チェルニウツィまでで30レイ)、一時間ほどでルーマニア・ウクライナ国境に到着。行きと同じくスルーに近かった。質問も下車もなく、パスポートが回収され、少しして戻ってきました。
こちらはウクライナ側。ほぼ同じでした。両方の検査で45分程度。まあ早い方でしょうか。
ウクライナに戻っても、まだルーマニア式の屋根の家が続きます。
こちらも。
チェルニウツィのバスターミナルに到着です。相方のバスチケットを買った後、世界遺産のチェルニウツィ大学を見に行きます(タクシー)。相方が値切ってくれました。
その前に、お約束のチェルニウツィのバスターミナルの国際線時刻表。スチャヴァ、ブカレスト(ルーマニア)、キシナウ(モルドヴァ)、プラハ、プルゼニ(チェコ)、セビリア(スペイン)、ミラノ、パレルモ(イタリア)、リガ(ラトヴィア)、モスクワ(ロシア)、ワルシャワ、シチェチン、コロブジェク、ポズナニ、ヴロツワフ、ゼレナ・ゴラ、クラクフ、ビドゴシ(ポーランド)に出ています。
こうしてやってきました。現在は大学ですが、かつてのブコヴィナの府主教座です。しかし、「学生じゃないヤツは金を払え」と門番に言われて、二人で30フリヴナを支払う羽目に。まあ、それくらいなら払ってでもみる価値がこちらの建物にはあります。
かなりデカいです。
もう一枚。
独特の模様ですね。
さて、食事をして汽車の時間が近づいたとのことで、チェルニウツィの駅にバス(2G)で向かいます。相方と別れの握手をした後、汽車に乗り込みます。なお、初めて紙のチケットを印刷せずにパソコンで提示したのですが、車掌のスキャナーで読み取れず、結局手書きで車掌がいろいろ控えるハメに。すみませんでした。しかし乗ってみて流石一等寝台でした。ロシアでいうフィルメンヌィ車両でした。そして出発です(17:22)。しかし、この時点ではあることに気がつきませんでした。
最初の駅はカムヤネツ・ポジリシキーかと思っていたら、何とコロミヤКоломия(18:15頃)。キエフから離れて行っています。
すぐに向きを変えるだろうと思っていたら、そのままイヴァノ・フランキウシクІвано-Франківськへ(19:10頃)。因みにこの駅は活気にあふれていました。
このあたりで確信しました。この列車、行きと異なり、キエフに直接向かわず、リヴィウЛьвівを経由する大回り便だったのです。これでやたら高かった理由も判明。
そして予想通り、いつか見た町リヴィウに到着(21:25頃)。因みにここまでは非電化単線の線路でしたが、ここからは電化複線。高速の電気機関車に付け替えです。
こうして朝4時台にキエフに到着。二日後にはまたリヴィウに行くことを思うと、何かもったいない気もしました。因みに相方もバスで無事到着しました。
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We've returned to Kiev. But we had a hard time getting there. The day before, the nun who had taken our partner's passport, Kasyana, had promised to return it at 7:00, but she didn't show up. Because of this, we missed the 7:10 bus. In the end, we talked to another nun who was making breakfast in the refectory and had her wake up Kasyana.
It was pitch dark in the monastery before 7 o'clock.
The bus wasn't coming until 8:30. However, we didn't have much time, so we decided to walk into town. We were talking about trying to hitch a ride on the way, but only one car came along after walking for about 40 minutes. The photo shows a church on the way.
The monastery's estate goes on and on.
After walking for about 3km, we found a pension. We were able to get a taxi from here. It cost 35 Lei to get to town. In this way, we were able to return to Trg. Neamti.
And as soon as we arrived, a bus to Suceava was waiting, so we jumped on without thinking (it left at 08:30). You pay the fare when you get on the bus.
When I arrived at the bus terminal in Suceava (09:45), I used the free wifi to make my next plans. However, I was shocked to find out that the train from Chernivtsi to Kiev was fully booked.
However, in the end, when I was looking at the Ukrainian Railways website, a cancellation came in for a moment and there was one vacant seat in the first class sleeper. I had to go back because I had work, so I booked a first-class sleeper. It was quite expensive - about 1020G. My partner was going to look for a bus in Chernivtsi.
Well, I got a timetable at the Suceava terminal, so I'll post it here for now.
There was also a timetable for the bus to Bucuresti.
It was Sunday, so I stopped by the Armenian Catholic Church next to the bus station, which had been closed yesterday, and it was open. The interior was simple, and an old lady was looking after it on her own.
Now that we've come this far, we have about three hours until the 13:00 bus to Chernivtsi. As we've already visited the churches in the city, I suggested to my partner that we take a taxi to the slightly more outlying Dragomirna Monastery (60 lei return). This is the first monastery that Elder Paisiy Velichkovsky entered after returning from Mount Athos.
This place is also surrounded by solid walls.
The church hall rises in the center. There are no frescoes on the outside, but the bricks create a nice pattern.
There was a bell here too. It is used to announce the start of services.
The monastery's orchard stretches to the ends of the earth.
Oh yes, the taxi driver gave us some valuable information. He said that the bus to Chernivtsi would be leaving at 12:00, an hour earlier than usual. This information was true after all. In a sense, it was a frightening experience.
When I returned to Suceava, I had half an hour to spare, so I went exploring the market. For some reason, there wasn't much of interest there.
Many of the shops were closed.
The synagogue nearby. I don't know if it's still in use.
I got some gogosi for lunch.
The bus left at 12 o'clock (the fare was paid directly to the driver. It was 30 lei to Chernivtsi), and after about an hour we arrived at the Romanian-Ukrainian border. It was almost the same as the way there. There were no questions or stops, and our passports were collected and returned a short time later.
This is the Ukrainian side. It was almost the same. Both inspections took about 45 minutes. That's pretty quick.
Even after returning to Ukraine, the houses with roofs in the Romanian style continue.
And here too.
We have arrived at the bus terminal in Chernivtsi. After buying my partner's bus ticket, we went to see the World Heritage Site of Chernivtsi University (by taxi). My partner haggled the price down for me.
Before that, here is the international bus timetable for Chernivtsi bus station, as promised. Suceava, Bucharest (Romania), Chisinau (Moldova), Prague, Plzen (Czech Republic), Seville (Spain), Milan, Palermo (Italy), Riga (Latvia) ), Moscow (Russia), Warsaw, Szczecin, Kolobrzeg, Poznan, Wroclaw, Zelenagora, Krakow, and Bydgoszcz (Poland).
This is where we are now. It's a university, but it used to be the seat of the Bukovinian Orthodox Church. However, when we were told by the gatekeeper that “non-students have to pay”, we ended up having to pay 30 hryvnia between us. Well, it's worth paying that much to see the building.
It's quite big.
Another photo.
It's got a unique pattern.
Now, as it was time to eat and the train was about to depart, we headed to the Chernivtsi station by bus (2G). After shaking hands with my partner, we boarded the train. By the way, this was the first time I had shown my paper ticket on a computer instead of printing it out, but the conductor's scanner couldn't read it, so in the end the conductor had to write down various details by hand. I'm sorry. However, when I got on the train, I realized that it was indeed a first-class sleeper car. It was a filmenny car, as they call them in Russia. And then we set off (17:22). However, at this point I didn't realize something.
I thought the first station would be Kamyanets-Podilskyi, but it was Kolomyia (around 18:15). We were moving away from Kiev.
I thought it would change direction soon, but it continued on to Ivano-Frankivsk (around 19:10). Incidentally, this station was full of energy.
Around this time, I became convinced. Unlike the outward journey, this train did not go directly to Kiev, but took a detour via Lviv. This also explains why the train was so expensive.
And as expected, we arrived in Lviv, the town I had seen before (around 21:25). By the way, up to this point the line was a single track, but from here it was a double track electrified line. We were replaced by a high-speed electric locomotive.
We arrived in Kiev at around 4am. When I thought about going back to Lviv in two days' time, I felt like it was a waste of time. By the way, my partner arrived safely by bus.
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