以前計画していたルーマニアRomânia/Romania行き計画。具体的にはどこで泊まるかなど、きちんと決めないままに出発しました。ただ、結局、まずはブコヴィナ北部のプトナ修道院Mănăstirea Putnaに泊まることにしました。
キエフКиївからはチェルニウツィЧернівці行きの二等寝台で出発です。一度は乗りそびれたブコヴィナ号。
何だか幾度も停車した記憶があります(寝ながらも)。トイレ前の時刻表ではこうなっていますが、ちょっと実際とは異なっています。
地図ではわかりにくいですが、南の方ではモルドヴァ国内を無停車で二三回通過するルートです。
朝7時のチェルニウツィ駅。まだ暗いです。
駅前の通りで予約していたタクシーを探します。いてくれて助かりました。
町から南に進みます。一時間もかからずにウクライナ・ルーマニア国境に到着です(ポルブネПорубне)。運転手のおっちゃん曰く、ウクライナのここの出国管理について、「何でも通しちゃうよ」と冗談めいて言っていました。パスポートを預け、係員がこちらの顔を確認して、それほど時間もかからずにパスポート返却です。
こちらはルーマニア側の入国管理(シレトSiret)。一応外に降りましたが、そこで顔を確認しただけでやはりスムーズに通り抜けることができました。朝早かったというのもあるのでしょう。
尚、ルーマニア通過のレイを両替して入手せねばなりませんので、入管直後の町シレトSiretに寄って両替を試みました。が、まず大量にあるウクライナのフリヴナを出したところ、断られました。「ウチはフリヴナは扱っていないよ。」隣国かつ、国境の町でも断られるフリヴナ。厳しいですな。仕方なく虎の子のドル札でレイを入手。
次いでラダウツィRădăuți/Radautiにてボグダナ修道院Mănăstirea Bogdanaを訪問。一部を除き、基本的には14世紀半ばの建造物です。有名ではないのですが、内部はフレスコが特に美しいですね。丁度礼拝が行われていて見学。ここの信者さんは殆どが膝をついて座っており、基本は立っているロシアやウクライナとは景色が異なりました。
礼拝の開始時にハンマーで板を叩きます。すると信徒が集まるという仕組み。
内部を見た感じはビザンツ様式ですが、ロマネスクや、また場所によってはゴシックの影響も見受けられます。
分厚い控え壁。
フレスコ描き入れ用のくぼみ。
内部は3廊式っぽかったのですが、外から見ると1廊式のようになっています。
市内にはローマ・カトリック教会もあり。
次いで町からそのままタクシーで南西に向かい、スチェヴィツァ修道院Mănăstirea Sucevitaに向かいました。
1581年の建造とのこと。入り口なり。
門上のフレスコ。
アプシダの外壁部分のフレスコ。内部もそうですが、ストーリーものがかなり多いですね。
風雨にさらされ消えかけています。誰か修復した方がいい気が。。。
天国へのはしご。人が次々と天に向かってはしごを登っていくのですが、悪人はそこから次々と落とされていき、下の業火で焼かれるという絵。
次いで宿泊地のプトナに到着。タクシーとお別れ。明日からは全て自力です。近くのレストラン「ブコヴィナ」で腹ごしらえ。チョルバとサルマーレを頂きました。唐辛子が丸ごと一本添えてあり、それをかじりながら食べるのだそうです。
プトナ修道院に付属の宿泊施設。ここはお金を取る宿なので、しっかりしていました。業務員の半数は修道士です。
宿から木立を抜けるとプトナ修道院です。
1470年建造、プトナ修道院。モルドヴァとルーマニアの歴史的英雄スチェファン・チェル・マーレが建設し、彼を含めたその一族の墓所になっています。
門に掲げられたスチェファンのイコン。
やはり中心にこの地域のタイプの聖堂があります。
外装にフレスコはありませんが、内部はもちろん別です。ここも美しいですね。それから一族の墓が内部にあります。
アプシダの反対、西側にはゴシックの影響と思しき、ステンドグラス系の窓があります。
入り口近く、府主教さんの棺。
入り口部分だけは新たに塗り直されていました。
修道士、修道女の墓地。
近くでは、川の氷の張っている部分に橋の上から子供たちが飛び降りていました。
5時前になると、コンコンコンコンと晩禱の開始を告げる音(ハンマーで木の板を叩く)が山中に鳴り響きます。夜は二時間の晩禱。壁に沿って椅子も設置されているので、そこに座ることも可能。途中セラフィムをかたどった蝋燭立て(蝋燭が灯してあります)がイコノスタスの前で天上に昇っていく(ロープでつり下がっている)という場面があり、ちょっと見たことのない礼拝の形でした。聖歌を歌う修道士たちも、その歌い方が独特でした。回転する聖歌集を置く台も同じく独特。興味津々の二時間でした。明日からはタクシーがないので頑張らないと。
キエフКиївからはチェルニウツィЧернівці行きの二等寝台で出発です。一度は乗りそびれたブコヴィナ号。
何だか幾度も停車した記憶があります(寝ながらも)。トイレ前の時刻表ではこうなっていますが、ちょっと実際とは異なっています。
地図ではわかりにくいですが、南の方ではモルドヴァ国内を無停車で二三回通過するルートです。
朝7時のチェルニウツィ駅。まだ暗いです。
駅前の通りで予約していたタクシーを探します。いてくれて助かりました。
町から南に進みます。一時間もかからずにウクライナ・ルーマニア国境に到着です(ポルブネПорубне)。運転手のおっちゃん曰く、ウクライナのここの出国管理について、「何でも通しちゃうよ」と冗談めいて言っていました。パスポートを預け、係員がこちらの顔を確認して、それほど時間もかからずにパスポート返却です。
こちらはルーマニア側の入国管理(シレトSiret)。一応外に降りましたが、そこで顔を確認しただけでやはりスムーズに通り抜けることができました。朝早かったというのもあるのでしょう。
尚、ルーマニア通過のレイを両替して入手せねばなりませんので、入管直後の町シレトSiretに寄って両替を試みました。が、まず大量にあるウクライナのフリヴナを出したところ、断られました。「ウチはフリヴナは扱っていないよ。」隣国かつ、国境の町でも断られるフリヴナ。厳しいですな。仕方なく虎の子のドル札でレイを入手。
次いでラダウツィRădăuți/Radautiにてボグダナ修道院Mănăstirea Bogdanaを訪問。一部を除き、基本的には14世紀半ばの建造物です。有名ではないのですが、内部はフレスコが特に美しいですね。丁度礼拝が行われていて見学。ここの信者さんは殆どが膝をついて座っており、基本は立っているロシアやウクライナとは景色が異なりました。
礼拝の開始時にハンマーで板を叩きます。すると信徒が集まるという仕組み。
内部を見た感じはビザンツ様式ですが、ロマネスクや、また場所によってはゴシックの影響も見受けられます。
分厚い控え壁。
フレスコ描き入れ用のくぼみ。
内部は3廊式っぽかったのですが、外から見ると1廊式のようになっています。
市内にはローマ・カトリック教会もあり。
次いで町からそのままタクシーで南西に向かい、スチェヴィツァ修道院Mănăstirea Sucevitaに向かいました。
1581年の建造とのこと。入り口なり。
門上のフレスコ。
アプシダの外壁部分のフレスコ。内部もそうですが、ストーリーものがかなり多いですね。
風雨にさらされ消えかけています。誰か修復した方がいい気が。。。
天国へのはしご。人が次々と天に向かってはしごを登っていくのですが、悪人はそこから次々と落とされていき、下の業火で焼かれるという絵。
次いで宿泊地のプトナに到着。タクシーとお別れ。明日からは全て自力です。近くのレストラン「ブコヴィナ」で腹ごしらえ。チョルバとサルマーレを頂きました。唐辛子が丸ごと一本添えてあり、それをかじりながら食べるのだそうです。
プトナ修道院に付属の宿泊施設。ここはお金を取る宿なので、しっかりしていました。業務員の半数は修道士です。
宿から木立を抜けるとプトナ修道院です。
1470年建造、プトナ修道院。モルドヴァとルーマニアの歴史的英雄スチェファン・チェル・マーレが建設し、彼を含めたその一族の墓所になっています。
門に掲げられたスチェファンのイコン。
やはり中心にこの地域のタイプの聖堂があります。
外装にフレスコはありませんが、内部はもちろん別です。ここも美しいですね。それから一族の墓が内部にあります。
アプシダの反対、西側にはゴシックの影響と思しき、ステンドグラス系の窓があります。
入り口近く、府主教さんの棺。
入り口部分だけは新たに塗り直されていました。
修道士、修道女の墓地。
近くでは、川の氷の張っている部分に橋の上から子供たちが飛び降りていました。
5時前になると、コンコンコンコンと晩禱の開始を告げる音(ハンマーで木の板を叩く)が山中に鳴り響きます。夜は二時間の晩禱。壁に沿って椅子も設置されているので、そこに座ることも可能。途中セラフィムをかたどった蝋燭立て(蝋燭が灯してあります)がイコノスタスの前で天上に昇っていく(ロープでつり下がっている)という場面があり、ちょっと見たことのない礼拝の形でした。聖歌を歌う修道士たちも、その歌い方が独特でした。回転する聖歌集を置く台も同じく独特。興味津々の二時間でした。明日からはタクシーがないので頑張らないと。
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