プスコフПсковは予想以上に見応えがありました。あまり観光案内は好きではないのですが、次の訪問者の役に立つかもしれませんので一応。
一日しかないので、まずは遠方から攻めて、段々とプスコフ駅に近づく作戦を立てました。そこでまずは一番遠方のプスコフ・エレザロフ修道院Елизаровский монастырьを攻略です。プスコフのアフトスタンツィヤから朝一番0800発のセリョトカ行きバス(109番)で北に向かいます。早起きしてホテルの朝食を速やかに済ましてバス停に向かいます。
チケットはスタンツィヤ内のカッサで購入。
エリザロヴォまで95Rでした。
「墓から復活教会」(良い訳が出来ぬ)の脇を通ります。結局、ここと下のフトィニ教会はあとで回れなかった。
フトゥニ教会の脇を通ります。
30分以上乗車して、エレザロヴォに到着。周りに家が修道院に合わせて白壁で緑の屋根。恐らく、関係者の住居ばかりなのでしょう。
中心にあるのが、三聖人聖堂。16世紀のものです。丁度鐘が鳴り出したので録音してしまいました。また、朝の礼拝が行われていました。
「ローマもコンスタンティノープルも滅んだ。第三のローマはモスクワである。」と唱えたフィロフェイさんはこの修道院の修道士でした。記念碑があります。
バス停に戻り、プスコフのアフトスタンツィヤ行きのバスを待ちます。
途中セヴェルナヤで下車。チケットは85R。バスの中にコンダクトルがいますので、彼女から購入です。セヴェルナヤで下車したあとは次の目的地スネトゴルスキー修道院Снетгорский монастырьに向けて、チュツカヤ通りに入り、1番のバスに乗車し終点まで。
これは市内のバスなので、乗車距離に関係なく20R。写真右のバス停より乗車。因みにこの1番のバスはそこそこ本数があります。
終点のスニャタヤ・ゴラ。少し戻って丘の上の修道院まで坂を上ります。
坂上の修道院入り口。プスコフ公ドフモントが1310年代に建てたとされる修道院です。
中央の謎の廃墟。説明も何もなかった。しかし人工的建造物の跡ではある。
聖母生誕聖堂。1311年建設。グループでの見学で予約を入れないと、中には入れません。残念。
通常の礼拝は奥の教会堂で行われていました。僕も紛れて説教を拝聴。かなりの信徒さんが来ていて、また院内の修道女も大勢参加していました。
段々市内に近づいていきます。次に狙うはプスコフの中でも一、二を争う古い聖堂、洗礼者ヨハネ聖堂。バスで移動するはずだったのですが、川を渡るまでのバス(16番)が少ないことが判明。気合いで歩きました。二つ目の矢印の先端くらいからは、左岸とを結ぶバス(14番)がかなりの本数、走っています。
遠方の丘上に、氷上の戦いでチュートン騎士団を退けたことを記念する碑が見えます。
途中でコルホーズ(集団農場)を示す看板。「勝利農場」という名称なのかな。
ヴェリカヤ川を渡る前にいい感じの教会堂が通りの向こうに見えました。しかし疲れていて向こうに渡れず。今調べると、ペトロ・パウロ教会だったんですね。
最後に疲れて14番のバスに二区間だけ乗車し、北にズンズン歩くと何とかたどり着けました。内部工事中で外側しか見られなかったのですが、なかなか美しい。洗礼者ヨハネ聖堂。ここもそうですが、複数の鐘が並ぶ鐘楼が教会堂にくっついている点がプスコフに教会に特徴的ですね。
ここから川と並行して南に向かうと、木々の合間から川向こうのプスコフのクロム(クレムリ。要塞)が見えます。
更に南に進むと川のそばに、渡し場の聖母就寝聖堂(1445年)。
ここは鐘楼が別になっています。形はプスコフ式ですが。
川を渡るとプスコフ観光の中心、クロムとトロイツキー聖堂です。
振り返ると、今までいた左岸に聖オリガ教会が見えました。新しいのであまり興味はわかないのですが、一応。
川からの敵の侵入を防ぐため、川沿いにも城壁が続いています。
一つの塔はレストランに改造されていました。奥に進みます。
まずは二の丸とも言える「ドフモントの城塞」。ここにも多くの教会堂があったようで、遺構がたくさん残っています。
官庁博物館。17世紀のプスコフ一帯を治めた行政官庁の建物が博物館になっています。ここは個人的には良かった。まずはクロム全体のジオラマ。
裁判を担当した書記官補のテーブルの再現。いろいろな部局を束ねた書記官補のテーブルが続き、それを統括した書記官と軍司令官(知事みたいなもの)の部屋が更に奥にあります。本当は写真を撮ってはいけなかった(あとで判明)のですが、まあ係のおばちゃんに見逃してもらいました。
本丸に向かいます。イコンが入り口上にはめ込まれています。
壁に挟まれた通路を進むと見えてきます。
トロイツキー聖堂です。これは巨大でした。モスクワのウスペンスキーの1.3倍くらいの高さがあるんじゃないかなあ。
内部はフラッシュなしなら撮影OKでした。7段のイコノスタス。
ここからは地図を見ながらともかく歩いて廻りました。まずは橋のそばのコジマ・デミヤン教会。門が閉ざされていて、中には入れず。
裏から撮影。
川向こうの神現教会。
角度を変えて。いやあ美しいわ。
ブイのペトロ・パウロ教会。
ゴロジェッツの大天使ミハイル教会(1339年)。
表から。
工事中。ウソラ(?)のニコラ教会。
通りの反対側に丘の上のヴァシーリー教会。
別角度から。
ローマ人アナスタシウス教会
新キリスト昇天教会
次いで、通りで偶然見つけたプスコフ博物館。かなり見応えがありました。イコンが多くてどういうことかと尋ねたところ、市内の教会にあるイコンはほぼレプリカよ、ここに本物は集めてあるの、なんて言っていました。ソ連時代にまとめて集めてしまったようなことも言っていました。
勝利広場まで歩いたところで、最後に残った川向こうにあるスパソ・ミロシキー修道院にバスで移動。確か2番のバスに乗りました。池のそばで下車して歩いて門から入ります。
お目当ての救世主変容聖堂。
中には12世紀のフレスコが残されています。この時代の本物はロシア全土でここだけにしか残されていないというもので、後代のフレスコとはかなり異なります。しかもフラッシュなしの撮影可能。青を基調としていて美しい。ほんとにいいですよ。
夜行の時間が迫ってきたので、駅に向かいます。途中で食堂で軽く夕食を取って駅までバス。
長距離列車の時刻表です。少ないなあ・・・
切符売り場。カードも使えるようです。地方だと使えないところもあるので、ここはいいですねえ。
駅には宿泊施設もあります。
ニコライ二世退位の記念碑。列車でプスコフに移動中だった皇帝はこの駅で革命の勃発を聞いて1917年3月2日に退位を表明し、ここにロマノフ朝は終焉しました。
因みに奥には近郊線ホームとカッサがあります。
列車が入線です。かなりのお客がいました。この列車もフィルメンヌィーの列車で、快適にモスクワ(レニングラーツキー駅)に戻ることが出来ました。
活躍したバスのタロン・ビリエトたち。プスコフではバス車内のコンダクトルから切符を買いますが、こうしたものを代わりにもらえます。
プスコフ。こんなに見所があるとは思わなかった。あと一日あれば、殆どは回れただろうけれど、ともかく満足しました。(2016.9)
(Leningradskii vokzal, Pskov, )
一日しかないので、まずは遠方から攻めて、段々とプスコフ駅に近づく作戦を立てました。そこでまずは一番遠方のプスコフ・エレザロフ修道院Елизаровский монастырьを攻略です。プスコフのアフトスタンツィヤから朝一番0800発のセリョトカ行きバス(109番)で北に向かいます。早起きしてホテルの朝食を速やかに済ましてバス停に向かいます。
チケットはスタンツィヤ内のカッサで購入。
エリザロヴォまで95Rでした。
「墓から復活教会」(良い訳が出来ぬ)の脇を通ります。結局、ここと下のフトィニ教会はあとで回れなかった。
フトゥニ教会の脇を通ります。
30分以上乗車して、エレザロヴォに到着。周りに家が修道院に合わせて白壁で緑の屋根。恐らく、関係者の住居ばかりなのでしょう。
中心にあるのが、三聖人聖堂。16世紀のものです。丁度鐘が鳴り出したので録音してしまいました。また、朝の礼拝が行われていました。
「ローマもコンスタンティノープルも滅んだ。第三のローマはモスクワである。」と唱えたフィロフェイさんはこの修道院の修道士でした。記念碑があります。
バス停に戻り、プスコフのアフトスタンツィヤ行きのバスを待ちます。
途中セヴェルナヤで下車。チケットは85R。バスの中にコンダクトルがいますので、彼女から購入です。セヴェルナヤで下車したあとは次の目的地スネトゴルスキー修道院Снетгорский монастырьに向けて、チュツカヤ通りに入り、1番のバスに乗車し終点まで。
これは市内のバスなので、乗車距離に関係なく20R。写真右のバス停より乗車。因みにこの1番のバスはそこそこ本数があります。
終点のスニャタヤ・ゴラ。少し戻って丘の上の修道院まで坂を上ります。
坂上の修道院入り口。プスコフ公ドフモントが1310年代に建てたとされる修道院です。
中央の謎の廃墟。説明も何もなかった。しかし人工的建造物の跡ではある。
聖母生誕聖堂。1311年建設。グループでの見学で予約を入れないと、中には入れません。残念。
通常の礼拝は奥の教会堂で行われていました。僕も紛れて説教を拝聴。かなりの信徒さんが来ていて、また院内の修道女も大勢参加していました。
段々市内に近づいていきます。次に狙うはプスコフの中でも一、二を争う古い聖堂、洗礼者ヨハネ聖堂。バスで移動するはずだったのですが、川を渡るまでのバス(16番)が少ないことが判明。気合いで歩きました。二つ目の矢印の先端くらいからは、左岸とを結ぶバス(14番)がかなりの本数、走っています。
遠方の丘上に、氷上の戦いでチュートン騎士団を退けたことを記念する碑が見えます。
途中でコルホーズ(集団農場)を示す看板。「勝利農場」という名称なのかな。
ヴェリカヤ川を渡る前にいい感じの教会堂が通りの向こうに見えました。しかし疲れていて向こうに渡れず。今調べると、ペトロ・パウロ教会だったんですね。
最後に疲れて14番のバスに二区間だけ乗車し、北にズンズン歩くと何とかたどり着けました。内部工事中で外側しか見られなかったのですが、なかなか美しい。洗礼者ヨハネ聖堂。ここもそうですが、複数の鐘が並ぶ鐘楼が教会堂にくっついている点がプスコフに教会に特徴的ですね。
ここから川と並行して南に向かうと、木々の合間から川向こうのプスコフのクロム(クレムリ。要塞)が見えます。
更に南に進むと川のそばに、渡し場の聖母就寝聖堂(1445年)。
ここは鐘楼が別になっています。形はプスコフ式ですが。
川を渡るとプスコフ観光の中心、クロムとトロイツキー聖堂です。
振り返ると、今までいた左岸に聖オリガ教会が見えました。新しいのであまり興味はわかないのですが、一応。
川からの敵の侵入を防ぐため、川沿いにも城壁が続いています。
一つの塔はレストランに改造されていました。奥に進みます。
まずは二の丸とも言える「ドフモントの城塞」。ここにも多くの教会堂があったようで、遺構がたくさん残っています。
官庁博物館。17世紀のプスコフ一帯を治めた行政官庁の建物が博物館になっています。ここは個人的には良かった。まずはクロム全体のジオラマ。
裁判を担当した書記官補のテーブルの再現。いろいろな部局を束ねた書記官補のテーブルが続き、それを統括した書記官と軍司令官(知事みたいなもの)の部屋が更に奥にあります。本当は写真を撮ってはいけなかった(あとで判明)のですが、まあ係のおばちゃんに見逃してもらいました。
本丸に向かいます。イコンが入り口上にはめ込まれています。
壁に挟まれた通路を進むと見えてきます。
トロイツキー聖堂です。これは巨大でした。モスクワのウスペンスキーの1.3倍くらいの高さがあるんじゃないかなあ。
内部はフラッシュなしなら撮影OKでした。7段のイコノスタス。
ここからは地図を見ながらともかく歩いて廻りました。まずは橋のそばのコジマ・デミヤン教会。門が閉ざされていて、中には入れず。
裏から撮影。
川向こうの神現教会。
角度を変えて。いやあ美しいわ。
ブイのペトロ・パウロ教会。
ゴロジェッツの大天使ミハイル教会(1339年)。
表から。
工事中。ウソラ(?)のニコラ教会。
通りの反対側に丘の上のヴァシーリー教会。
別角度から。
ローマ人アナスタシウス教会
新キリスト昇天教会
次いで、通りで偶然見つけたプスコフ博物館。かなり見応えがありました。イコンが多くてどういうことかと尋ねたところ、市内の教会にあるイコンはほぼレプリカよ、ここに本物は集めてあるの、なんて言っていました。ソ連時代にまとめて集めてしまったようなことも言っていました。
勝利広場まで歩いたところで、最後に残った川向こうにあるスパソ・ミロシキー修道院にバスで移動。確か2番のバスに乗りました。池のそばで下車して歩いて門から入ります。
お目当ての救世主変容聖堂。
中には12世紀のフレスコが残されています。この時代の本物はロシア全土でここだけにしか残されていないというもので、後代のフレスコとはかなり異なります。しかもフラッシュなしの撮影可能。青を基調としていて美しい。ほんとにいいですよ。
夜行の時間が迫ってきたので、駅に向かいます。途中で食堂で軽く夕食を取って駅までバス。
長距離列車の時刻表です。少ないなあ・・・
切符売り場。カードも使えるようです。地方だと使えないところもあるので、ここはいいですねえ。
駅には宿泊施設もあります。
ニコライ二世退位の記念碑。列車でプスコフに移動中だった皇帝はこの駅で革命の勃発を聞いて1917年3月2日に退位を表明し、ここにロマノフ朝は終焉しました。
因みに奥には近郊線ホームとカッサがあります。
列車が入線です。かなりのお客がいました。この列車もフィルメンヌィーの列車で、快適にモスクワ(レニングラーツキー駅)に戻ることが出来ました。
活躍したバスのタロン・ビリエトたち。プスコフではバス車内のコンダクトルから切符を買いますが、こうしたものを代わりにもらえます。
プスコフ。こんなに見所があるとは思わなかった。あと一日あれば、殆どは回れただろうけれど、ともかく満足しました。(2016.9)
(Leningradskii vokzal, Pskov, )
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