かなり前なのですが、モスクワ市内のヴィソコ・ペトロフスキー修道院に行ってきました。今回は三度目くらいの訪問です。
最寄りのメトロはトヴェルスカヤ(チェホフスカヤ、プーシキンスカヤ)、或いはトルプナヤです。
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ペトロフカ通りから入ることが出来ます。背の高い、赤煉瓦の鐘楼が見えるはずです。鐘楼自体にも教会堂(カザンの聖母イコン教会堂)が設置されています。20世紀初頭の建造物です。
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入ってすぐに、こぢんまりした聖堂があります。これが聖ピョートル聖堂です。修道院の名称「ペトロ」もここから来ています。
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説明書きによると、キエフ府主教ピョートルを称えて建設された聖堂で、建設年代は1514-17年。イタリアの建築家アレヴィジオ・ランベルティ・ダ・モンタニャノが建てたとのこと。ピョートルはモスクワが14世紀に強大化するのに大きな役割を果たした人。
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修道院なので、聖堂以外の建物もあり、全体でアンサンブルになっています。修道院自体は14世紀、まさに府主教ピョートルにより建てられたとされています。緑のクーポルの建物は聖セルギー・ラドネシキー教会堂です。17世紀末から18世紀初頭に建造されたそうです。
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そのとなりには食堂(トラペズナヤ)もあります。最近の修道院はこれを一般に開放しています。正直なところ、それほど味に期待せずに入った方がいいでしょう。安いですが。
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こちらはボリソグレプスキーの聖母イコン聖堂。ちょっと難しい名前。17世紀後半の建物です。
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14世紀にここの院長を務めたイオアン(ヨアン)さんは府主教候補になるのですが、政敵により逮捕されてしまいます。またロシア革命後に閉鎖され、30年代には残っていた修道士たちが銃殺されます。悲しい時代でした。その後、50年代に文化省の管轄に入り、修復作業が行われます。ソ連崩壊後の1994年にロシア正教会に引き渡されたとのこと(大体はWikiより)。
最寄りのメトロはトヴェルスカヤ(チェホフスカヤ、プーシキンスカヤ)、或いはトルプナヤです。
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ペトロフカ通りから入ることが出来ます。背の高い、赤煉瓦の鐘楼が見えるはずです。鐘楼自体にも教会堂(カザンの聖母イコン教会堂)が設置されています。20世紀初頭の建造物です。
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入ってすぐに、こぢんまりした聖堂があります。これが聖ピョートル聖堂です。修道院の名称「ペトロ」もここから来ています。
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説明書きによると、キエフ府主教ピョートルを称えて建設された聖堂で、建設年代は1514-17年。イタリアの建築家アレヴィジオ・ランベルティ・ダ・モンタニャノが建てたとのこと。ピョートルはモスクワが14世紀に強大化するのに大きな役割を果たした人。
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修道院なので、聖堂以外の建物もあり、全体でアンサンブルになっています。修道院自体は14世紀、まさに府主教ピョートルにより建てられたとされています。緑のクーポルの建物は聖セルギー・ラドネシキー教会堂です。17世紀末から18世紀初頭に建造されたそうです。
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そのとなりには食堂(トラペズナヤ)もあります。最近の修道院はこれを一般に開放しています。正直なところ、それほど味に期待せずに入った方がいいでしょう。安いですが。
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こちらはボリソグレプスキーの聖母イコン聖堂。ちょっと難しい名前。17世紀後半の建物です。
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14世紀にここの院長を務めたイオアン(ヨアン)さんは府主教候補になるのですが、政敵により逮捕されてしまいます。またロシア革命後に閉鎖され、30年代には残っていた修道士たちが銃殺されます。悲しい時代でした。その後、50年代に文化省の管轄に入り、修復作業が行われます。ソ連崩壊後の1994年にロシア正教会に引き渡されたとのこと(大体はWikiより)。
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