2024年8月7日水曜日

スパソ・カーメンヌィ修道院への旅(その2)

 ボートで島へ向かうこと1時間。いよいよカーメンヌィ島が見えてきました。

ヴォログダ府主教のウェブサイト(https://vologda-mitropolia.ru/monasteries/spaso-kamennyj-muzhskoj-monastyr/?ysclid=lyxdyf30u1114576872)によると、建立は1260819日とのこと。ロストフ公コンスタンチン・フセヴォロドヴィチの孫であるベロオゼロ公グレーブ・ヴァシリコヴィチがベロオゼロからヴェリーキー・ウスチュグに船で移動するときに、クベンスコエ湖で嵐に遭い、カーメンヌィ島に流されました。命が助かったことから、公はここに教会を建立し修道院を建てるよう命じました。200年間、この島の建物は木造のみでしたが、大規模火災のあとの1481年にロシア北部全体で初めての石造りの教会であるスパソ・プレオブラジェンスキー聖堂が建設されました、とのこと。

 

1925年、ソ連政権により修道院は閉鎖され、修道院の建物も、スパソ・プレオブラジェンスキー聖堂も破壊され、修道院の建物の中で現存するのはウスペンスカヤ教会・鐘楼のみとのこと。いろんなところで赤軍は破壊してますよねえ。


島の面積はおよそ120メートル×70メートル。以下は島内の地図。


ピンク色の建物がウスペンスカヤ教会・鐘楼で、手前のレンガの廃墟がプレオブラジェンスキー聖堂跡。壊すときは徹底的にやってますな。


鐘楼へは上ることができます。


鐘楼からの眺め。

水平線の辺りに緑が見えますが、これは陸地ではなく、三角州の一部。この写真では見えにくいのですが、島から三角州へと、湖底に道のようなものができています。湖の水量がごくまれに少なくなることがあり、そうするとこの道が姿を現すそうです。

 

島の反対側。この一番奥の波打ち際にもボートをつけられるようになっています。

持ってきた寄進用の食品は左側にある屋根のかかったテーブルとベンチに置いていきます。石は、奥の波打ち際に置いてきました。水の流れの関係で地面が削れるので、ここがよいとのこと。


右側の黄色い建物は博物館です。

中にはこのような展示室があります。中央にいる白い服の女性が、この島に来る客全員に対してこの島の歴史を説明します。


この島での行動ルール。後から言われても困るルールあり(石とか土を島に持ってこい)。


ラジオ通り1番地という住所付き。


お猫様。訪れた子供たちが近寄って撫でても何のその。



名残惜しいですが、帰る時間です。


陸地に帰ってきました。


マイクロバスでヴォログダВологда/Vologdaへの帰途につきます。


夜のヴォログダ駅。夜行列車でモスクワへ向かいます。


朝にモスクワ・ヤロスラヴリ駅に到着。

よい週末旅となりました。月曜からまた仕事。

1 件のコメント:

  1. ヴォログダのこの修道院は初めて知りました。ここまでマニアックな旅を、日本語で紹介して下さるこちらのブログは本当に貴重です。特に今のロシア情勢を考えると。

    ソ連時代の教会・修道院の閉鎖、破壊、転用は数え切れない程ありますが、この修道院もその犠牲に遭っているのですね。破壊されても正教会の建築のフォルムは留めていますが、悲しいお姿です。

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