今日はホルイХолуй/Kholuiを目指します。は、まずはユジャЮжа/Iuzhaに。
このバスはイヴァノヴォ→シュヤ→パレフ→ユジャというルート。パレフПалех/Palekhのバスターミナルとも久しぶりの再会。
ユジャに到着したのは8:50です。正面がターミナル。町へは右側の壁に開いている通路を抜けていきます。
待合室とチケット売り場。
ユジャ発着のバスの時刻表です。こちらは長距離バス。
近郊バスはこちら。
入り口にも近郊バスの時刻表があります。
バスターミナルでホルイ行きのチケットを買おうとすると、直接運転手から買うようにとのこと。それからこの日のホルイ行きのバスは12:30だけだと言われました。時刻表には載っていないので、要注意です。
ユジャのバスターミナルにはこんな絵が。
「ユジャ地区は火の鳥の故郷」 ・・・そうだったのか。
向かい側にはこんな絵。
バスの時間までユジャの町歩き。道すがらの木造教会。中にはかなりたくさんの信者の方々が集まって礼拝の最中だったので入れず。
そのすぐ背後にセラフィム教会Серафимовская церквь。
ユジャ人形博物館Музей куколが開いていたので入ります。100R也。
ここでは工芸作家の作品を展示するほか、子供たちを対象とした手芸教室を開講しています。ロシア各地の人形やおもちゃ、塗り物作品が集められています。
お守りоберег。最近、ロシアの北方地域に行くとよく見かける気がします。手が10本ある人形は母親が結婚する娘に贈るもの。婚家ではたくさんの家事をこなさなければいけないので、うまくできるように願いを込めたものだそうです。手の繋がった2体1組の人形は結婚した二人がいつまでも一緒に幸せに暮らすことを願ったもの。2体の間にほしい子供の数だけ小さな人形をつけたそうです。これってある意味、親からのプレッシャー?
ほかにも、ズボン姿の人形単体もあり、これは旅の無事を願うもの。人形が背負っている袋に故郷の土を入れて、必ずこの地に戻るよう願いを込めたとのこと。
1950年代のロシアの家庭内。帝政時代、縫物や手芸は主に農奴の仕事でしたが、第二次世界大戦後は家庭内でするものになり、ベッドカバーなどに刺繍や手編みのレースがつけられるようになったそうです。繕い物や手芸のできる女性は仕事を請け負って家計の足しにできるので、高級品だったシンガーのミシンを持っている人のところには依頼が舞い込んできたんだとか。
その奥に農家の内装。ペチカを中心に、部屋が二分されています。ゆりかごが下がっているスペースは女性たちのための場所。ここで糸紡ぎや機織りなど女性の仕事をしました。ゆりかごは、赤ちゃんに何かあっても誰かがすぐに駆け寄れるように、部屋中央の低めの位置に吊るしたそうです。
ペチカの反対側の部屋。こちらには聖像画が置かれ、その一番近くには家の主人、その隣には客人が座りました。婚前の女性は同席せず、結婚することが決まったときだけ、食卓でのもてなし方法を習得するためにここに加わることができたとのこと。
壁やドアの模様も凝っています。
「ユジャ地区のクランベリーのなる沼地の地図」
湿地を好むクランベリーがこの地の名産品なのです。知らなかった。
バスターミナルに戻ります。ついに、ホルイ攻略へ。
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