祭日(&復活祭)で陽気も良かったこともあって、思い立って午後からドミトロフДмитровに行ってきました。
今回はカード支払いで済ませたかったこともあり、往復切符を購入です(287R)。因みに、駅の外にある自販機ではやはりカードでの購入できませんでしたので、駅の中のカッサで購入です。
サヴョーロフスキー(サヴョーロフ)駅Савеловский вокзалは、基本的には近郊線のみのターミナル駅です。但し、脇に上下一本ずつだけですが、ベラルースキー(ベラルーシ)駅から(或いは行き)の近郊線(エレクトリーチカ)のホームがあります。そちらに行くときのみ、構内のトンネルをくぐります(今回は使いません)。
因みに、脇に写っているケバブ屋で腹ごしらえをしてから出発しました。
車両は二年前製造のЭД4Мというやつで、最近わかってきたのですが、「当たり」の車両でした。
ホームの反対側にも同じЭД4Мが停車していましたが、見るからに外装も内装も古い。「いい車両に乗れてラッキーだぜ」とこの時は思ったのですが、古い方についても「腐ってもЭД4М」で、この古そうに見える車両を馬鹿にしてごめんなさい、と後で思うハメになりました。
一時間少々でドミトロフ到着です。ドミトロフが近づくと車内はかなり混雑していました。
駅から正面を見た様子です。セルプホフと異なり、小型バスは全く見ませんでした。
基本的には北方向(駅を降りて駅前の広場を越えたら左折)に進むと土塁と教会の頭が見えてきます。
祝日で、多くの人がでていました。正面はドミトロフのクレムリで、左に進むと商業施設、右が一応目抜き通りへ通じています。
土塁の向こうにウスペンスキー聖堂が見えてきます。
16世紀初頭に建設されたウスペンスキー聖堂Успенский соборです。16世紀初頭の聖堂って、よく見かけるのですが、この頃から地方でも中心的な聖堂について、石造建築が広まったのでしょう。モスクワ大公ヴァシーリー3世の時代ですね。
パスハだからか、鐘楼が開放されていました。案内役の人が鐘の鳴らし方を教えていました。
土塁を見たら、一応は登っておきましょう。
一応、堀の跡(?)が残っています。
クレムリから東に向かうとドミトロフの博物館があります。不覚でした。通常の日曜は開いているのですが、今日は祝日なので休みでした。
更に東に進むと、目的地のボリソグレプスキー(ボリス・グレプ)修道院Борисогребский монастырьです。史料上の初出は遅いのですが、伝承では12世紀のユーリー・ドルゴルーキー公の創建とのこと。
修道院の入り口です。パスハの飾り物が取り付けられています。
地域の子どもや芸術家による、パスハにちなんだ作品が展示されていました。
中央にはボリソグレプスキー聖堂Борисогребский собор。建築年代は正確には不明。1537年以前とされています。まあ16世紀の早い時期のものでしょうね。中ではパスハの礼拝が行われていて、聖歌がずっと歌われていました。信徒の方も大勢いらして混雑していました。聖歌に合わせて十字架を切っては、お辞儀を繰り返す場面が印象的でした。
小礼拝堂です。
展示物。地域の子ども作品です。
トラペズナヤ(食堂)です。修道院でトラペズナヤが一般向けに開かれていることって、ここ数年なんですかね。数年前までは無かったような。今回の出張ではよく見かけます。
駅まで戻ってきました。歩けます。ドミトロフは乗り換え駅で、構内は大きく、ホーム北側にはいい感じの車両が待機していました。ところがやってきたのはお年寄りの車両。小さな娘さんが「何この古い電車!」と声を上げていました。
内装はこんな感じ。モケットがないので滑ります。また、尻と背中が痛くなりました。モケットの役割を思い知らされました。ただ、写真は撮れなかったのですが、この車両で一番驚いたのはトイレでした。①タンクがなく線路下にダダ漏れ、②汚い、③電灯がなく、扉を閉めて鍵をかけると、真っ暗です。便器の穴を通じて入ってくる光だけがたよりでした。この③が一番困りました。
お顔はこのような感じです。ЭР2Тというのですね。待っていて彼らが来たときにはがっかりしてください。
まだ明るかったので、サヴョーロフスキー駅からクレムリ近くまで歩きました。写真は途中のベラルースキー駅。
この陽気で、桜も咲きました。ようやく春です。
(2016.5.1)。
*10年前のドミトロフについては、こちらの頁が詳しい。
今回はカード支払いで済ませたかったこともあり、往復切符を購入です(287R)。因みに、駅の外にある自販機ではやはりカードでの購入できませんでしたので、駅の中のカッサで購入です。
サヴョーロフスキー(サヴョーロフ)駅Савеловский вокзалは、基本的には近郊線のみのターミナル駅です。但し、脇に上下一本ずつだけですが、ベラルースキー(ベラルーシ)駅から(或いは行き)の近郊線(エレクトリーチカ)のホームがあります。そちらに行くときのみ、構内のトンネルをくぐります(今回は使いません)。
因みに、脇に写っているケバブ屋で腹ごしらえをしてから出発しました。
車両は二年前製造のЭД4Мというやつで、最近わかってきたのですが、「当たり」の車両でした。
ホームの反対側にも同じЭД4Мが停車していましたが、見るからに外装も内装も古い。「いい車両に乗れてラッキーだぜ」とこの時は思ったのですが、古い方についても「腐ってもЭД4М」で、この古そうに見える車両を馬鹿にしてごめんなさい、と後で思うハメになりました。
一時間少々でドミトロフ到着です。ドミトロフが近づくと車内はかなり混雑していました。
駅から正面を見た様子です。セルプホフと異なり、小型バスは全く見ませんでした。
基本的には北方向(駅を降りて駅前の広場を越えたら左折)に進むと土塁と教会の頭が見えてきます。
祝日で、多くの人がでていました。正面はドミトロフのクレムリで、左に進むと商業施設、右が一応目抜き通りへ通じています。
土塁の向こうにウスペンスキー聖堂が見えてきます。
16世紀初頭に建設されたウスペンスキー聖堂Успенский соборです。16世紀初頭の聖堂って、よく見かけるのですが、この頃から地方でも中心的な聖堂について、石造建築が広まったのでしょう。モスクワ大公ヴァシーリー3世の時代ですね。
パスハだからか、鐘楼が開放されていました。案内役の人が鐘の鳴らし方を教えていました。
土塁を見たら、一応は登っておきましょう。
一応、堀の跡(?)が残っています。
クレムリから東に向かうとドミトロフの博物館があります。不覚でした。通常の日曜は開いているのですが、今日は祝日なので休みでした。
更に東に進むと、目的地のボリソグレプスキー(ボリス・グレプ)修道院Борисогребский монастырьです。史料上の初出は遅いのですが、伝承では12世紀のユーリー・ドルゴルーキー公の創建とのこと。
修道院の入り口です。パスハの飾り物が取り付けられています。
地域の子どもや芸術家による、パスハにちなんだ作品が展示されていました。
中央にはボリソグレプスキー聖堂Борисогребский собор。建築年代は正確には不明。1537年以前とされています。まあ16世紀の早い時期のものでしょうね。中ではパスハの礼拝が行われていて、聖歌がずっと歌われていました。信徒の方も大勢いらして混雑していました。聖歌に合わせて十字架を切っては、お辞儀を繰り返す場面が印象的でした。
小礼拝堂です。
展示物。地域の子ども作品です。
トラペズナヤ(食堂)です。修道院でトラペズナヤが一般向けに開かれていることって、ここ数年なんですかね。数年前までは無かったような。今回の出張ではよく見かけます。
駅まで戻ってきました。歩けます。ドミトロフは乗り換え駅で、構内は大きく、ホーム北側にはいい感じの車両が待機していました。ところがやってきたのはお年寄りの車両。小さな娘さんが「何この古い電車!」と声を上げていました。
内装はこんな感じ。モケットがないので滑ります。また、尻と背中が痛くなりました。モケットの役割を思い知らされました。ただ、写真は撮れなかったのですが、この車両で一番驚いたのはトイレでした。①タンクがなく線路下にダダ漏れ、②汚い、③電灯がなく、扉を閉めて鍵をかけると、真っ暗です。便器の穴を通じて入ってくる光だけがたよりでした。この③が一番困りました。
お顔はこのような感じです。ЭР2Тというのですね。待っていて彼らが来たときにはがっかりしてください。
まだ明るかったので、サヴョーロフスキー駅からクレムリ近くまで歩きました。写真は途中のベラルースキー駅。
この陽気で、桜も咲きました。ようやく春です。
(2016.5.1)。
*10年前のドミトロフについては、こちらの頁が詳しい。
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