2016年4月28日木曜日

トロイツェ・セルギエフ修道院を攻略するには

 ※今回は観光用の修道院案内ではありませんのでご注意ください!

 昨日、昼前にトロイツェ・セルギエフ修道院Тройце Сергиевский монастырьに行こうと思い立ち、1000ルーブリだけ持って家を出て、モスクワ・ヤロスラフスキー駅Москва, Ярославский вокзалの電車(エレクトリーチカ)に飛び乗りました。以前から疑問に思っていたことがあり、その答えを探しに行ったわけです。



   

  

 この修道院は、17世紀初頭にポーランド・リトアニア軍によって2年近く包囲され、頑張って耐え抜き、有名なスコピン・シュイスキー公により解放されるのですが(修道院の入り口の塔にもそのことを記した銘板あり。昨日確認。)、ネットでポーランド・リトアニア軍の攻撃シーンを検索すると上の4枚のような、正面(東)から攻撃を仕掛けている場面ばかりが引っかかるのです。もちろんシーンとしては絵になるのでよいのですが、もし本当に正面からばかり攻撃していて、結果的に修道院を落とせなかったとすれば、作戦が悪かったということになるわけです。そこでポーランド・リトアニア軍の配置図を見てみると、


 青い長方形の部分に最初の陣が敷かれたようです。右下(今でいう駅のあたりか)、それから左の方(裏手にあたる)にもいたんですね。地図をよく見てみるとなにやら修道院の周りには川があって堀のようになっている模様。結構堅固な要塞だったのでしょうか。高低差がよくわからないので、現地に調べに行きました。1〜6を順番に廻りました。


 まず、駅(陣営があったと思しき場所)から修道院に向かって少々歩いたあたりから修道院を見ると、遠くにクーポルが見える程度ですね。高低差についてはよくわかりません。


 だいたい地図上の[1]のあたりでしょうか。もう少し歩みを進めると、幹線道路が走っている直前、急に視界が開けて、正面の修道院が目に入ってきます。しかし眼下にはコンチュラ川が削って出来たやや深めの谷があり、我々を遮っています。右に下りていく坂はかなり急ですね(歩行者用階段あり)。


 谷の低いところまで坂を下ったところのコンチュラ川。これが南東側からのポーランド・リトアニア軍の修道院攻撃に際して邪魔になったようですね。川は下流(北東)へ流れていきます。


 同じ場所から上流(南西)を見て。現在は幹線道路が出来たので、コンチュラ川はその下をくぐり、修道院の南側に続いています。

 ポーランド人になりきって、一番低くなっている位置から修道院を見ると、ちょっと距離もありますし、登らないといけないですね。


 [2]のあたり。幹線道路をくぐり反対にきました。ここから[1]の場所を見てみます。わかりづらいですが、土手のようなものが幹線道路で、その向こうが谷になっています。塔のようなものの向こう側に見えるのが[1]の場所です。

 同じく[2]のあたり。道路を越えてコンチュラ川の上流に進みます。コンチュラはここで右に折れるのですが、正面には地図にもでている「僧房池」からの流れがあります。要は、池からここまで流れて、コンチュラに合流するわけですね。

池はせき止められて出来ています。向こう側が池です。


 「僧房池」にたどり着きました。


 結構大きいですね。底はドロですので、ちょっとこちらから攻め込むのは難しそうです。南から攻めるのは無理に近いということがわかります。

 [3]のあたり。仮に池を渡ってきたとしても、修道院(奥に塔が見えます)はまだ先です。手前の茶色い煉瓦壁は後代のもの。


 [3]から裏手(西の陣営が敷かれていた場所)に行くには、かなりの急な坂を登ります。


 [4]のあたり。緑の扉が遮っていてわかりづらいですが、やはりこちらも川が作った深い谷が修道院との間にあるわけです。やはり茶色の建物は当時存在なかったはずなので、修道院を攻めるには谷に一旦降りないといけません。


 仕方がないので北側にまわります。コンチュラの上流に架かる橋の上からです。


 折角なのでコンチュラ川まで降りました。[5]の位置です。ちょっとここから修道院に攻めこむのも大変ですね。高低差があります。


 [4]から修道院を見たときの谷の部分を、[5]から見たところ。現在は埋められて、赤茶煉瓦の建物が建っています。高低差がなくなってしまったわけです。


 コンチュラ川は埋め立てられてしまっています。現在は赤茶の建物の下を通っているんですね。

 東の正門の方に進んでいきます。壁は高いですね。ただ、攻城兵器を置くくらいのスペースはありますね。


 正門脇の公園にたどり着きました。およそ[6]の位置です。やはり平らな広いスペースというと、こちら側(東側)なのですね。

 これまで、地形についてはあまり考えたことがなかったのですが、なかなか攻めづらい場所に修道院が建っていることがわかりました。ポーランド・リトアニア軍が単に無能だった、というわけではなさそうです。強襲するならやはり東側からなのですね。

 しかし、こうして攻め立てられることを予見してセルギーは修道院をこの位置に構えたのでしょうかね。なかなかいい場所を選んでいます。


 

 一仕事を追えて、正門前のカッサ脇のカフェで休憩。そのまま修道院には入らずに帰宅しました。因みに修道院に入る場合、350Rでした。以前来たときには無料だった気がするのですが・・・(2016.4.27)

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