念願のセルプホフСерпуховに行ってきました。
チケットのネット購入はできなかったので、クルスク駅Москва, Курский вокзалで直接購入です。が、地下鉄からでて何となく進んで来たところにあったカッサは長距離列車用でした。まごまごしていたら、そばにいたおっちゃんがエスカレーターで降りると近郊用カッサがあると教えてくれたので、そちらで購入です(225R50K)。
なお、本当はトゥーラТула行きの急行ラーストチカЛасточка(つばめ号)に乗りたかったのですが、時間がぎりぎりで購入できず、普通電車(エレクトリーチカ)になってしまいました。それと、窓口での購入時、日本のvisaカードは使えました!プラットフォルマ2(四番線)から出発です。
チケットのネット購入はできなかったので、クルスク駅Москва, Курский вокзалで直接購入です。が、地下鉄からでて何となく進んで来たところにあったカッサは長距離列車用でした。まごまごしていたら、そばにいたおっちゃんがエスカレーターで降りると近郊用カッサがあると教えてくれたので、そちらで購入です(225R50K)。
なお、本当はトゥーラТула行きの急行ラーストチカЛасточка(つばめ号)に乗りたかったのですが、時間がぎりぎりで購入できず、普通電車(エレクトリーチカ)になってしまいました。それと、窓口での購入時、日本のvisaカードは使えました!プラットフォルマ2(四番線)から出発です。
いつ乗っても思うのが、やはり広軌だから車両の幅(と椅子の幅)が広いことですね。一応ビニールのモケットが張ってありました。急行なら一時間強のところ、普通電車で二時間弱かけて目的地に向かいます。
到着しました。近郊電車の切符にはバーコードがついているので、それを改札の機械のへこみ部分に差し込むと、ゲートが開きます。降りるときも乗るときも一緒です。ちなみに、列車では検札がありました。五人の車掌(うち四人は女性)が一気にやってきて、無賃乗車をチェック(或いは途中乗車のお客にチケット販売)します。
駅前はアフトヴァグザル(バスターミナル)で、調べてきた番号のバスを探します。現在のセルプホフでは車掌が必ず乗っています。乗車後すぐに運賃を払うと、昔懐かしのタロンをくれました。
料金は小型バスが30R、大型(というか普通のバスが43R)でした。
ちなみにこちらが小型バス。このタイプがかなり幅をきかせていました。
目的地その一。ヴヴェデンスキー女子修道院Введенский женский монастырь。創建は14世紀。当時の府主教アレクシーМитрополит Алексийによるものだそうです。バス(4番)で終点で下車。
中心に位置するのが、ボリス・ゴドゥノフБорис Годунов時代建造のヴヴェデンスキー聖堂。この修道院で最古の建造物です。
ソ連邦解体後に修復したとのこと。ソ連邦時代にはクーポル部分に別の尖塔が付けられていたのですね。
現在は復活祭前の斎の時期。斎用のメニューを頼んでみました。サリャンカと赤カブのサラダ。ちょっと味的に物足りなかった。
バスで少し町に戻ってから途中下車。セルプホフのクレムリ跡に向かいます。小高くなってます。ここには古くから人が住んでいたそうですが、クレムリを作ったのは一四世紀のウラジーミル・アンドレーエヴィチ公Владимир Андреевич。ドンスコイと共にママイМамайと戦った、あの人です。
衝撃だったセルペイカ川Серпейка。モスクワのクレムリなど、昔の要塞のパターンとして、川の合流地点に砦を建てることがありますが、一方のナラ川は大きいものの、こんな小川との合流地点に砦を建てたなんて、信じられませんでした。昔はもう少し流れが大きかったのか。
少しだけ、城壁が残っていました。訪れた恋人たちの永遠の愛の誓いなどが刻まれていました。真ん中の奥に尖塔だけ見えるのがトロイツキー聖堂。水曜日だけ礼拝をしているとのこと。
クレムリから気合いで歩きました。第三の目的地、ヴィソツキー修道院Висоцкий монастырьです。ナラ川脇に建てられた要塞のごとき建物です。創建はラドネシの聖セルギーと当時のセルプホフ公ウラジーミル・アンドレーエヴィチと言われています。1374年のことです。
修道士の方数人が畑を耕していました。ナラ川の河川敷までは行かないものの、川に降りていく途中の段丘に畑を作っています。
青いクーポル付き聖堂がここの中心のザチャチエフスキー聖堂。これもゴドゥノフ時代の建造物です。
8番のバスで駅まで戻ります。こちらは43R。途中で、どうもいつもお金を払わない浮浪者のようなおっちゃんが乗車してきて、料金徴収のおばちゃんとケンカが始まりました。「出てけ!」「いやだ!」の応酬。おばちゃんは運転手に向かって「この人が出ていくまで、動かしちゃだめよ!」あきれたお客数名が降りていきました。
駅前通で見かけた寿司ショップ。こんなところまで、寿司の人気はすごいものです。
帰りにゲットした、セルプホフからの料金表(普通電車)です。現在のレートだと、クルスク駅から往復で700円くらいか。四時間弱で700円。安くていいのですが、急行に乗っても1000円弱(往復で二時間)。こちらに乗りたかった。
到着しました。近郊電車の切符にはバーコードがついているので、それを改札の機械のへこみ部分に差し込むと、ゲートが開きます。降りるときも乗るときも一緒です。ちなみに、列車では検札がありました。五人の車掌(うち四人は女性)が一気にやってきて、無賃乗車をチェック(或いは途中乗車のお客にチケット販売)します。
駅前はアフトヴァグザル(バスターミナル)で、調べてきた番号のバスを探します。現在のセルプホフでは車掌が必ず乗っています。乗車後すぐに運賃を払うと、昔懐かしのタロンをくれました。
料金は小型バスが30R、大型(というか普通のバスが43R)でした。
ちなみにこちらが小型バス。このタイプがかなり幅をきかせていました。
目的地その一。ヴヴェデンスキー女子修道院Введенский женский монастырь。創建は14世紀。当時の府主教アレクシーМитрополит Алексийによるものだそうです。バス(4番)で終点で下車。
中心に位置するのが、ボリス・ゴドゥノフБорис Годунов時代建造のヴヴェデンスキー聖堂。この修道院で最古の建造物です。
ソ連邦解体後に修復したとのこと。ソ連邦時代にはクーポル部分に別の尖塔が付けられていたのですね。
現在は復活祭前の斎の時期。斎用のメニューを頼んでみました。サリャンカと赤カブのサラダ。ちょっと味的に物足りなかった。
バスで少し町に戻ってから途中下車。セルプホフのクレムリ跡に向かいます。小高くなってます。ここには古くから人が住んでいたそうですが、クレムリを作ったのは一四世紀のウラジーミル・アンドレーエヴィチ公Владимир Андреевич。ドンスコイと共にママイМамайと戦った、あの人です。
衝撃だったセルペイカ川Серпейка。モスクワのクレムリなど、昔の要塞のパターンとして、川の合流地点に砦を建てることがありますが、一方のナラ川は大きいものの、こんな小川との合流地点に砦を建てたなんて、信じられませんでした。昔はもう少し流れが大きかったのか。
少しだけ、城壁が残っていました。訪れた恋人たちの永遠の愛の誓いなどが刻まれていました。真ん中の奥に尖塔だけ見えるのがトロイツキー聖堂。水曜日だけ礼拝をしているとのこと。
クレムリから気合いで歩きました。第三の目的地、ヴィソツキー修道院Висоцкий монастырьです。ナラ川脇に建てられた要塞のごとき建物です。創建はラドネシの聖セルギーと当時のセルプホフ公ウラジーミル・アンドレーエヴィチと言われています。1374年のことです。
修道士の方数人が畑を耕していました。ナラ川の河川敷までは行かないものの、川に降りていく途中の段丘に畑を作っています。
青いクーポル付き聖堂がここの中心のザチャチエフスキー聖堂。これもゴドゥノフ時代の建造物です。
8番のバスで駅まで戻ります。こちらは43R。途中で、どうもいつもお金を払わない浮浪者のようなおっちゃんが乗車してきて、料金徴収のおばちゃんとケンカが始まりました。「出てけ!」「いやだ!」の応酬。おばちゃんは運転手に向かって「この人が出ていくまで、動かしちゃだめよ!」あきれたお客数名が降りていきました。
駅前通で見かけた寿司ショップ。こんなところまで、寿司の人気はすごいものです。
帰りにゲットした、セルプホフからの料金表(普通電車)です。現在のレートだと、クルスク駅から往復で700円くらいか。四時間弱で700円。安くていいのですが、急行に乗っても1000円弱(往復で二時間)。こちらに乗りたかった。
セルプホフのカッサのことだけもう少し。切符の自販機もあるのですが、最後のカード認証部分で引っかかり、購入できませんでした。それ故、現金払いで窓口で購入しました(窓口では元々カード払い不可。金額は行きと同じく225R50K)。現金払いは嫌だ、と言う人は、来るときにモスクワの窓口で往復券を買ってから来るといいでしょう。ちなみに、「モスクワまで」と言うと、クルスク駅、或いはその次のカランチョーフスカヤ駅(レニングラード駅の脇)、列車によってはベラルースキー駅などにも行くので、そのいずれであるのか、窓口で聞かれます。あせらずに目的の駅名を答えましょう。
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