ドストエフスキーДостоевскийの「カラマーゾフの兄弟」では、スターラヤ・ルッサСтарая Руссаが舞台になっています。作家が実際に暮らした家が博物館Дом-Музейとして保存されているので、行ってきました。
ドストエフスキー博物館は、ロシア国内に7か所、カザフスタンに1か所あります。
入場料は、外国人で200ルーブルでした。
一家は2階部分を借りていたそうです。夜通し仕事をする作家の部屋にはずっと明かりが灯っていたのでしょう。
この博物館で作家本人の所有していたものは3つしか残されていません。シルクハット、手袋、卓上の敷物。
ほかは同時代の家具や物品を入れての再現でした。
作家の書斎。ここには作家の愛好したディケンズなど文豪の肖像画や、「白痴」に登場するホルバインのキリストといった好きな絵画作品が飾られていたそうです。
続いて食堂。19世紀後半の中流階級の典型的な様式だそうです。ドストエフスキーはここで毎日子供たちからその日の出来事を聞くのを楽しみにしていたとのこと。
こちらは妻アンナの仕事部屋。夫の原稿を清書するほか、契約書類管理なども彼女の仕事でした。
博物館の前にはポルシヤ川Порусьяが流れています。雰囲気はまさに小説の世界。アリョーシャはこの道を何度も往復したのでしょうか。少し先にはグルーシェンカの家もあります。
付近にはいくつか教会があります。ドストエフスキーも通ったということで、道すがらたどります。
こちらは殉教者ミーナ教会。成立年は不明ですが15世紀に最初の記録あり。
聖ゲオルギー教会。入り口前に酔っ払いの集団がいて、遠目から見かけるなり「こっち来いよ!」と。これ以上近づけず。
ニコリスカヤ教会(1371年)。現存するのは1710年に再建されたもの。鐘楼の建造年はもっと古く、13世紀末~14世紀初頭には存在したそうです。
ドストエフスキーの銅像。
ここは町の南外れで、広場の脇をこんなバスが走り抜けていきました。
地方都市とはいえ、ここまで古いバスを見るのはかなり久しぶり。
ここから町中方面へ向かいます。
ドストエフスキー博物館は、ロシア国内に7か所、カザフスタンに1か所あります。
入場料は、外国人で200ルーブルでした。
一家は2階部分を借りていたそうです。夜通し仕事をする作家の部屋にはずっと明かりが灯っていたのでしょう。
この博物館で作家本人の所有していたものは3つしか残されていません。シルクハット、手袋、卓上の敷物。
ほかは同時代の家具や物品を入れての再現でした。
作家の書斎。ここには作家の愛好したディケンズなど文豪の肖像画や、「白痴」に登場するホルバインのキリストといった好きな絵画作品が飾られていたそうです。
続いて食堂。19世紀後半の中流階級の典型的な様式だそうです。ドストエフスキーはここで毎日子供たちからその日の出来事を聞くのを楽しみにしていたとのこと。
こちらは妻アンナの仕事部屋。夫の原稿を清書するほか、契約書類管理なども彼女の仕事でした。
博物館の前にはポルシヤ川Порусьяが流れています。雰囲気はまさに小説の世界。アリョーシャはこの道を何度も往復したのでしょうか。少し先にはグルーシェンカの家もあります。
付近にはいくつか教会があります。ドストエフスキーも通ったということで、道すがらたどります。
こちらは殉教者ミーナ教会。成立年は不明ですが15世紀に最初の記録あり。
聖ゲオルギー教会。入り口前に酔っ払いの集団がいて、遠目から見かけるなり「こっち来いよ!」と。これ以上近づけず。
ニコリスカヤ教会(1371年)。現存するのは1710年に再建されたもの。鐘楼の建造年はもっと古く、13世紀末~14世紀初頭には存在したそうです。
ドストエフスキーの銅像。
ここは町の南外れで、広場の脇をこんなバスが走り抜けていきました。
地方都市とはいえ、ここまで古いバスを見るのはかなり久しぶり。
ここから町中方面へ向かいます。
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