2016年5月3日火曜日

パスハのドミトロフへの旅(モスクワから鉄道で)

 祭日(&復活祭)で陽気も良かったこともあって、思い立って午後からドミトロフДмитровに行ってきました。


 今回はカード支払いで済ませたかったこともあり、往復切符を購入です(287R)。因みに、駅の外にある自販機ではやはりカードでの購入できませんでしたので、駅の中のカッサで購入です。



 サヴョーロフスキー(サヴョーロフ)駅Савеловский вокзалは、基本的には近郊線のみのターミナル駅です。但し、脇に上下一本ずつだけですが、ベラルースキー(ベラルーシ)駅から(或いは行き)の近郊線(エレクトリーチカ)のホームがあります。そちらに行くときのみ、構内のトンネルをくぐります(今回は使いません)。



 因みに、脇に写っているケバブ屋で腹ごしらえをしてから出発しました。



 車両は二年前製造のЭД4Мというやつで、最近わかってきたのですが、「当たり」の車両でした。



 ホームの反対側にも同じЭД4Мが停車していましたが、見るからに外装も内装も古い。「いい車両に乗れてラッキーだぜ」とこの時は思ったのですが、古い方についても「腐ってもЭД4М」で、この古そうに見える車両を馬鹿にしてごめんなさい、と後で思うハメになりました。



 一時間少々でドミトロフ到着です。ドミトロフが近づくと車内はかなり混雑していました。



 駅から正面を見た様子です。セルプホフと異なり、小型バスは全く見ませんでした。



 基本的には北方向(駅を降りて駅前の広場を越えたら左折)に進むと土塁と教会の頭が見えてきます。



 祝日で、多くの人がでていました。正面はドミトロフのクレムリで、左に進むと商業施設、右が一応目抜き通りへ通じています。



 土塁の向こうにウスペンスキー聖堂が見えてきます。



 16世紀初頭に建設されたウスペンスキー聖堂Успенский соборです。16世紀初頭の聖堂って、よく見かけるのですが、この頃から地方でも中心的な聖堂について、石造建築が広まったのでしょう。モスクワ大公ヴァシーリー3世の時代ですね。



 パスハだからか、鐘楼が開放されていました。案内役の人が鐘の鳴らし方を教えていました。



 土塁を見たら、一応は登っておきましょう。



 一応、堀の跡(?)が残っています。



 クレムリから東に向かうとドミトロフの博物館があります。不覚でした。通常の日曜は開いているのですが、今日は祝日なので休みでした。



 更に東に進むと、目的地のボリソグレプスキー(ボリス・グレプ)修道院Борисогребский монастырьです。史料上の初出は遅いのですが、伝承では12世紀のユーリー・ドルゴルーキー公の創建とのこと。



 修道院の入り口です。パスハの飾り物が取り付けられています。



 地域の子どもや芸術家による、パスハにちなんだ作品が展示されていました。



 中央にはボリソグレプスキー聖堂Борисогребский собор。建築年代は正確には不明。1537年以前とされています。まあ16世紀の早い時期のものでしょうね。中ではパスハの礼拝が行われていて、聖歌がずっと歌われていました。信徒の方も大勢いらして混雑していました。聖歌に合わせて十字架を切っては、お辞儀を繰り返す場面が印象的でした。



 小礼拝堂です。



 展示物。地域の子ども作品です。



 トラペズナヤ(食堂)です。修道院でトラペズナヤが一般向けに開かれていることって、ここ数年なんですかね。数年前までは無かったような。今回の出張ではよく見かけます。



 駅まで戻ってきました。歩けます。ドミトロフは乗り換え駅で、構内は大きく、ホーム北側にはいい感じの車両が待機していました。ところがやってきたのはお年寄りの車両。小さな娘さんが「何この古い電車!」と声を上げていました。



 内装はこんな感じ。モケットがないので滑ります。また、尻と背中が痛くなりました。モケットの役割を思い知らされました。ただ、写真は撮れなかったのですが、この車両で一番驚いたのはトイレでした。①タンクがなく線路下にダダ漏れ、②汚い、③電灯がなく、扉を閉めて鍵をかけると、真っ暗です。便器の穴を通じて入ってくる光だけがたよりでした。この③が一番困りました。



 お顔はこのような感じです。ЭР2Тというのですね。待っていて彼らが来たときにはがっかりしてください。



 まだ明るかったので、サヴョーロフスキー駅からクレムリ近くまで歩きました。写真は途中のベラルースキー駅。


 この陽気で、桜も咲きました。ようやく春です。


(2016.5.1)。
*10年前のドミトロフについては、こちらの頁が詳しい。

2016年4月28日木曜日

トロイツェ・セルギエフ修道院を攻略するには

 ※今回は観光用の修道院案内ではありませんのでご注意ください!

 昨日、昼前にトロイツェ・セルギエフ修道院Тройце Сергиевский монастырьに行こうと思い立ち、1000ルーブリだけ持って家を出て、モスクワ・ヤロスラフスキー駅Москва, Ярославский вокзалの電車(エレクトリーチカ)に飛び乗りました。以前から疑問に思っていたことがあり、その答えを探しに行ったわけです。



   

  

 この修道院は、17世紀初頭にポーランド・リトアニア軍によって2年近く包囲され、頑張って耐え抜き、有名なスコピン・シュイスキー公により解放されるのですが(修道院の入り口の塔にもそのことを記した銘板あり。昨日確認。)、ネットでポーランド・リトアニア軍の攻撃シーンを検索すると上の4枚のような、正面(東)から攻撃を仕掛けている場面ばかりが引っかかるのです。もちろんシーンとしては絵になるのでよいのですが、もし本当に正面からばかり攻撃していて、結果的に修道院を落とせなかったとすれば、作戦が悪かったということになるわけです。そこでポーランド・リトアニア軍の配置図を見てみると、


 青い長方形の部分に最初の陣が敷かれたようです。右下(今でいう駅のあたりか)、それから左の方(裏手にあたる)にもいたんですね。地図をよく見てみるとなにやら修道院の周りには川があって堀のようになっている模様。結構堅固な要塞だったのでしょうか。高低差がよくわからないので、現地に調べに行きました。1〜6を順番に廻りました。


 まず、駅(陣営があったと思しき場所)から修道院に向かって少々歩いたあたりから修道院を見ると、遠くにクーポルが見える程度ですね。高低差についてはよくわかりません。


 だいたい地図上の[1]のあたりでしょうか。もう少し歩みを進めると、幹線道路が走っている直前、急に視界が開けて、正面の修道院が目に入ってきます。しかし眼下にはコンチュラ川が削って出来たやや深めの谷があり、我々を遮っています。右に下りていく坂はかなり急ですね(歩行者用階段あり)。


 谷の低いところまで坂を下ったところのコンチュラ川。これが南東側からのポーランド・リトアニア軍の修道院攻撃に際して邪魔になったようですね。川は下流(北東)へ流れていきます。


 同じ場所から上流(南西)を見て。現在は幹線道路が出来たので、コンチュラ川はその下をくぐり、修道院の南側に続いています。

 ポーランド人になりきって、一番低くなっている位置から修道院を見ると、ちょっと距離もありますし、登らないといけないですね。


 [2]のあたり。幹線道路をくぐり反対にきました。ここから[1]の場所を見てみます。わかりづらいですが、土手のようなものが幹線道路で、その向こうが谷になっています。塔のようなものの向こう側に見えるのが[1]の場所です。

 同じく[2]のあたり。道路を越えてコンチュラ川の上流に進みます。コンチュラはここで右に折れるのですが、正面には地図にもでている「僧房池」からの流れがあります。要は、池からここまで流れて、コンチュラに合流するわけですね。

池はせき止められて出来ています。向こう側が池です。


 「僧房池」にたどり着きました。


 結構大きいですね。底はドロですので、ちょっとこちらから攻め込むのは難しそうです。南から攻めるのは無理に近いということがわかります。

 [3]のあたり。仮に池を渡ってきたとしても、修道院(奥に塔が見えます)はまだ先です。手前の茶色い煉瓦壁は後代のもの。


 [3]から裏手(西の陣営が敷かれていた場所)に行くには、かなりの急な坂を登ります。


 [4]のあたり。緑の扉が遮っていてわかりづらいですが、やはりこちらも川が作った深い谷が修道院との間にあるわけです。やはり茶色の建物は当時存在なかったはずなので、修道院を攻めるには谷に一旦降りないといけません。


 仕方がないので北側にまわります。コンチュラの上流に架かる橋の上からです。


 折角なのでコンチュラ川まで降りました。[5]の位置です。ちょっとここから修道院に攻めこむのも大変ですね。高低差があります。


 [4]から修道院を見たときの谷の部分を、[5]から見たところ。現在は埋められて、赤茶煉瓦の建物が建っています。高低差がなくなってしまったわけです。


 コンチュラ川は埋め立てられてしまっています。現在は赤茶の建物の下を通っているんですね。

 東の正門の方に進んでいきます。壁は高いですね。ただ、攻城兵器を置くくらいのスペースはありますね。


 正門脇の公園にたどり着きました。およそ[6]の位置です。やはり平らな広いスペースというと、こちら側(東側)なのですね。

 これまで、地形についてはあまり考えたことがなかったのですが、なかなか攻めづらい場所に修道院が建っていることがわかりました。ポーランド・リトアニア軍が単に無能だった、というわけではなさそうです。強襲するならやはり東側からなのですね。

 しかし、こうして攻め立てられることを予見してセルギーは修道院をこの位置に構えたのでしょうかね。なかなかいい場所を選んでいます。


 

 一仕事を追えて、正門前のカッサ脇のカフェで休憩。そのまま修道院には入らずに帰宅しました。因みに修道院に入る場合、350Rでした。以前来たときには無料だった気がするのですが・・・(2016.4.27)

北朝鮮レストランが増えました 「ピョンヤン・ルィンラド」

  モスクワには以前から「コリョ Корё 」という北朝鮮レストランがあります。そして 2025 年 11 月末にはトヴェルスカヤ駅前の一等地にも 「スィンリ Сынри 」というレストランがオープンしました。この辺りは在留邦人の間でよく知られていますが、ほかにも数軒あるようです...